見出し画像

大阪中之島美術館 『デザインに恋したアート♡アートに嫉妬したデザイン』 感想

大阪中之島美術館で(広義の)現代美術と工業製品、ポスターを並べた展覧会に行きました。

本展は現代に対する認識をとらえ直す展覧会として見れば、とても意義のある展覧会だったと思います。

一般的に、現代は“第2次世界大戦の終結”に始まったと考えられています。日本の歴史を時代ごとに区分すると、古代、中世、近世、近代、現代という並びになりますから、大きな戦争が終わった時代を区切りにするのは妥当のように思われます。

しかし、こんにちを生きる人間にとって、歴史上の時代区分をそのまま現代社会の時間認識にあてはめることに違和感を禁じえません。戦争終結後、日本ではアメリカとの関係、国家の世界的な立ち位置、経済や科学技術の発展とありとあらゆるものが変化しています。戦後の枠組みで現在を語ることは不可能になっているのはいうまでもありません。にもかかわらず、戦後を現代ととらえるのは、ある種の思考停止ではないでしょうか?

本展は戦後から現在までの作品を並置しているのが特徴です。絵画だけでいいますと、1950年代のルポルタージュ絵画から展示がスタートしています。まさに戦後からスタートしているわけです。

現代美術を総合的に集めた展覧会では、50年代の芸術作品いわゆる戦後美術の作品が展示されることはほとんどありません。知ってか知らずか、美術の世界では戦後は現代に含まれていないのですね。

戦後美術を起点に現代美術をなぞっていけば、戦後と現在との間には様々な断層があることが分かります。本展を通してそれぞれの時代を当時の視点で見ることにより、現代と呼ばれるこの時代の重層性と、戦後と現在との隔絶を見いだすことになるでしょう。

と、ここまで書いて不思議に思った方はいらっしゃいませんか?
そう、本展のタイトルにある「デザイン」についてまったく触れていないのです。

正直なところ、本展はデザインの展覧会として考えると最悪の展覧会といわざるを得ません。本展を企画したのは大阪中之島美術館のデザイン担当の学芸員ですが、この程度の展覧会を企画したことに対して、怒りさえ感じてしまいます。

国立デザインミュージアムをめぐるどうしようもない流れなど、デザインのことを話せばきりがないので、本稿はここで止めておきます。デザインの話をすると愚痴しか出ません。

どうして国立デザインミュージアムの話がでてきたのか。それは、3月に行われた「日本のデザインを語るデザインミュージアムの在り方を考えるカンファレンス」に本展の企画者である、学芸員と旧ライゾマの代表が出席しているからなんですね。

ちなみにいっておくと、国立デザインミュージアムは、現状では 21_21 DESIGN SIGHT を国が買い取って、必ず図録を発行するようにするだけで十分だと考えています。21_21 の関係者たちのたゆまぬ努力によって、実験的なところにとどまらない、意義のある展示も出てきています。それが記録に残らないのが、残念でなりません。私立だから図録をつくるお金がないのなら、公金から出る価値はあると思いますし、いっそのこと国立にしてもよいと思います。

また、大阪中之島美術館の植木学芸課長は 21_21 の展示を関西にも巡回できるように努力するべきです。そうでないと、デザインについて本当に理解できる機会が関西の人々にやってきません。

本展では「デザインかアートか」とか「一方向より双方向」などということがテーマとなっていますが、いまのデザインの世界はこのようなクリシェ(陳腐な言葉)では語ることができない状況です。

そもそも“デザインとアート”、“一方向と双方向”の二分法が、デザインについて考えたり、なにかをデザインするうえで、なんの役に立つのでしょうか? なにかをデザインするとき双方向であればいいというものではないし、デザインとアートの区別したところで作品やプロダクトの理解にはつながりません。

本展はデザインに対する理解を深めるどころか、「デザイン=かっこいいもの、かわいいもの」というフィーリングで語りうるものという誤認を招くおそれがあります。

本当はもっといいたいことがありますが、やめときます。本当にやめときます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?