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東京国立博物館『やまと絵―受け継がれる王朝の美―』 感想

東京国立博物館の『やまと絵―受け継がれる王朝の美―』を観てきました。

これまで幾度も日本の古典美術の展覧会に行っていますが、やまと絵だけに焦点を当てた展覧会は初めてでした。信貴山縁起絵巻や源氏物語絵巻、鳥獣戯画など、それぞれの絵巻物に焦点を当てた展覧会はありました。けれども、それらを「やまと絵」とひとくくりにして一堂に会した展覧会はなかったように思います。

Wikipediaにあるように、やまと絵には複数の意味合いがあります。

私の場合は、土佐派が引き継いだ絵画のあり方のことを「やまと絵」と認識していました。もっと砕けた表現をすれば「土佐光起っぽい絵画」ということになります。土佐光起は江戸時代の初期の絵師で、中国からの影響を受けた狩野派とは対照的に、日本古来の(とはいっても平安時代から室町時代ですが)絵画をよく描いていました。このような背景知識をもとに、「やまと絵」というものを理解していました。

どうして「やまと絵」に対して、このような漠然とした理解しか持てないのか。それは私が無意識のうちに日本古典美術を雪舟以前と雪舟以後に分けているからだと思います。

日本の古典絵画はどのような傑作でも作者が知られているものはほとんどなく、また、同一作家のまとまった作品が保存されていません。「やまと絵」を歴史、すなわち展覧会としてまとめあげるには、作品の持つ背景情報にあまりに不明点が多く、作品そのものも散発的なのです。そのため私は、展覧会で室町時代後期以降の作品に多く接するうちに、「日本絵画の歴史の始まりは雪舟等楊や土佐光信から」と感覚的に理解してしまっていたのです。それ以前にも絵画があることを知っているにもかかわらず。
注:雪舟でさえ、真筆かどうかが疑われている作品が多数あります。

雪舟以前は日本古典絵画における先史時代であり、その時代に生み出された絵画は美術品というよりもむしろ文化財や宝物(ほうもつ)として認識していました。信貴山縁起絵巻はかけがえのない寺宝でもありますし、平家納経は当時の技術と贅沢を極めた工芸品でもあります。こうしたこともあってか、本展に展示された作品を美術品として鑑賞するのには骨が折れました。

本展を観て、私は7年前に千葉市美術館で観た、初期浮世絵展のことを思い出しました。

浮世絵というと喜多川歌麿の美人画や葛飾北斎の『富嶽三十六景』が有名ですが、それよりも前の時代の絵師の「浮世絵」を集めた展覧会でした。初期浮世絵と聞いてピンとくるのが、多色刷りの錦絵を生み出した鈴木春信の作品群です。

ところが、この展覧会ではさらに前の時代の浮世絵、赤と黒の二色刷りの浮世絵が大部分を占めていました。鈴木春信が出てくるのは、展覧会の終わりのほうでした。初期と思っていたものよりもさらに昔の作品が延々と続いたので、本展は私にとって記憶に残る展覧会になりました。

「やまと絵」の展覧会も、日本古典絵画の初期と思っていた時代のそのさらに昔の美術作品を、絵画として集中して観るまたとない機会となりました。本展で見どころとされている絵画はいずれも初見ではありません。けれども、新しい見方で作品と接することができました。

とはいえ、漢画の持つ表現力の強さにくらべると、やまと絵はいろんな意味で「線が細い」という印象は拭えませんでした。江戸前寿司と大阪寿司の関係みたいですね。


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