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某エンタメ賞に一次落ちしたことで考えた~小説の品質と開発力について~

2月20日の正午に松本清張賞の中間発表がありまして、私は見事、1次選考で落ちてしまいました。

手ごたえのあった作品でした。けれども677篇のうちの30篇にすら残れなかったのですから、自分の実力を過信した結果といわざるをえません。

とはいえ、単純に実力不足と考えるのはよくないと考えています。実力はあるはずだ! と開き直るつもりはありません。自分のなかのなにが足りなかったのかを見つめ直す必要があるのです。

そこで、私は応募作を読み返してみました。すぐに分かった私の欠点は、小説の開発力に難があるということです。

ここでいう「開発力」は高品質の小説を製造する能力を指します。一般的には、製品開発においてはQCD(品質、コスト、納期)が重要視されますが、小説にはコストはあまり関係ないですし、締め切りに間に合っているので納期も考慮に入れません。

また、品質という言葉も誤解を招きやすいですね。同じ言葉でも一点ものと大量生産では「品質」の持つ意味合いが異なります。

一点ものであれば高級感があったり、美しかったり、使い手になじみやすかったりという作り手のこだわりが品質を高める要素になります。

けれども、大量生産には作り手のこだわりはいらないどころか、かえって害になることがあります。大量生産における品質の高さとは「どれだけ仕様のバラツキや製品の不具合なく製造することができるか」です

食べ物を例に取れば、工業製品ではいつどこで誰が食べても同じ味であることこそが品質なのです。誤解を怖れずにいえば、おいしいかおいしくないかが品質を左右するのではないのです。カップラーメンがそうですよね。

小説は作り手にとっては一点ものですが、版元からすれば大量生産の商品です。紙の書籍や電子書籍というかたちで多くの人々の手に届けられるからです。さきほどもいった通り、品質は一点ものと大量生産とで考え方が違います。このギャップ、開発力に対する認識の違いが「こんなはずじゃなかった!」という結果を招くのだと思います。

私の小説は開発力の点でいうと、とんでもない欠陥をかかえています。いいたいことがバラバラなのです。特に序盤は明らかに読みづらい。物語のバックストーリーを書きこんでいるせいで説明が多くなりがちになります。

注:バックストーリーが悪いわけではないのです。物語の世界を詳細に説明することで、小説の魅力を増すことができます。それはビデオゲームを例にとっても分かります。大人気のアクションゲームのひとつ、モンスターハンターが特にいい例です。キャラクターの操作が複雑で、すぐにはマスターできません。そのため、いくつものチュートリアルがあるのですが、これが退屈で仕方ありません。しかも、ゲーム中に説明がはさまれて、興味がそがれます。でもいったん操作をおぼえると、ゲームの面白さに夢中になります。長編小説のバックストーリーも同じで、最終的に物語を面白くするためには欠かせない存在です。

さすがに終盤になるとバラツキは減るのですが、下読みが序盤でつけたマイナス点は決して覆らないでしょうし、ひょっとしたら読むのをやめている可能性もあります。

下読みがやっていることは、小説の“検品”だと思います。小説に「不具合」がないかを確かめているのです。小説の、大量生産品としての品質を見極めたうえで、高品質と認めたものを編集者に渡しているわけです。だとしたら、私が松本清張賞で1次落ちになっても仕方がありません。

ここからは愚痴になっているかもしれませんが、ご容赦願います。

ただ、小説のすばらしさは、一点ものの品質(企画力)と大量生産品の品質(開発力)との掛け合わせで決まると私は考えています。どんなによい商品でも故障が多かったらやがて売れなくなりますし、長持ちしても愛着が持てなければ他社製品に乗り換えるでしょう。

すばらしい小説を探すためであるなら、品質重視の読み方もまた問題があるわけです。

下読みのひとは読みやすさ=品質を求めますから、企画をしっかりすることがあだになる場合があります。ストーリーが複雑になったりバックストーリーが多くなったりすると、よほどの開発力がなければ高品質が維持できません。そのような作品は、下読みのお眼鏡にかなわない可能性があります。

おそらくマーガレット・アトウッドの『侍女の物語』も、下読みの手にかかれば一次選考で落ちるでしょう。さまざまなバックストーリーが交錯する構造になっているので、話の筋を追うよりも、迷いながら読む、つまり品質度外視で読むことが求められます。そのうえ、第二波フェミニズムに対する多角的な知見がないときちんと読めませんので、下読みが読書を放棄しても不思議ではないのです。

まあ、自分の小説が『侍女の物語』と同じぐらい傑作かというと、まあ、それはないのですが。

だからといって、開発のハードルを下げるのもよくないんですよね。開発力が高くなくても作れる小説には企画力が乏しいものが多い。競争力はないが高品質な小説が下読みに厳選されている。そのせいか、めでたく新人賞を受賞しても芽の出ないひとが多い。これもまた考えものですね。

最後に。正直、松本清張賞に送った作品の企画には自信があります。なので、小説の設計方法を確立し、開発力を高めたうえで改稿をし、別の賞に応募しようと考えています。品質が駄目というだけで落ちたのであれば、うかばれませんからね。

ちなみに、松本清張賞ではこの筆名では送っていません。というか、作品ごとに筆名を変えています。自分に実力があり、下読みに読む力があれば、見慣れない筆名でも賞が取れるものと考えているからです。

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