『ユージーン・スタジオ 新しい海』を批判するひとに暴言を吐いている方、ここで立ち止まってみませんか?

ユージーン・スタジオについて批判したひとに対して炎上しているようです。

実のところ、私の意見はこの方のとまったく同じです。でも、だから、私はこの展覧会に批判的なんですよね。あまりにコンセプトがレディメイド過ぎて、カッコイイ作品を創ろうとしすぎている。十年前に名和晃平さんが似たような批判を受けていたのを思い出します。

ただ、名和さんの作品は上に紹介したpixcell以外の作品も見れば、作家のステートメントに説得力が出てくるんですよね。作家を評価する際は、1つの作風だけを観るのではダメですね。

ですが、ユージーン・スタジオの作品に対する批判、見た目だけとかコンセプトがありきたり、コンセプトと作品の内容が一致しないというのは出展された作品のほぼすべてに言えることなんです。今回の展覧会で私が問題視しているのはそこなんですよ。

特に『ホワイト・ペインティング』という作品については気になりましたね。だから、ここで書いておきます。真っ白な画面に様々な国の人々が接吻をした作品です。

私が問題だと持っているのは、「なぜこの作品にイコンが並置されたのか」です。もちろん、イコンは接吻するためにあるので、『ホワイト・ペインティング』と共通点があるという認識はしています。

しかし、そのつじつま合わせのために、おかしなことになっているのが問題なんです。

問題は2点あって、まずはユージーン・スタジオを主宰する寒川さんの考えとのズレ、もうひとつは作品とコンセプトとのズレです。また、もうひとつ、観ている側にも問題があるので、これも後で詳述します。

本題に入る前に、イコンについて説明します。

イコンというのは主にキリスト教のいち宗派である正教会でよく見られるものです。イコンは現代では美術品のようにも取り扱われていますが、基本的には信仰のための道具です。祈りを捧げたり接吻したりすることで、イコンに描かれたものを崇拝します。

また、先述の通り、正教会はキリスト教の宗派のひとつです。ざっくりいうと、仏教でいう大乗仏教、上座部仏教のようなものですね。もとは一つの宗教だったのですが、ヨーロッパと古代オリエントを統治していたローマ帝国が東西に分かれてから、いろいろあって、キリスト教も東西に分裂しました。その東側で信仰されていたのが、正教会です。正教会は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)が支配していたギリシャやブルガリアなど東欧の一部の国、そして正教会を国教化したロシアでよく信仰されています。

ここが問題なんです。ややこしいことに、寒川さんにも問題があるし、観ているひとにも間違った認識の方がいらっしゃる。difference ではなくmistake ですね。だから指摘します。

★ 寒川さんの問題 ①

まずは、寒川さんの宗教観の問題。

寒川さんはこの作品で宗教を意識されたのですが、そのきっかけが中学、高校がキリスト教系の学校に入学したからだといいます。これだけ聞くと問題ないのですが、勘のいいひとだと「正教会系の学校ってあるの?」と思うわけです。Wikipediaで調べましたが、ありません。おかしいですねえ。

そうなんです、寒川さんはプロテスタント系の学校を卒業されているんですね。そこで疑問が湧くわけです。

どうして、プロテスタントの学校に行かれていた方が、正教会のイコンを自分の美術作品に盛り込んだか? です。

これ自体は別に悪いことではありません。むしろ、ここで説得力のあるご説明があれば高い“得点”が出せます。逆に、作品と作家の言葉で違和感が誘発される以上、どこかに説明がないと大減点されるべきです。これでは作家が本当に何を表現したいかが見えない(最悪、作家が嘘をついているかもしれない)からです。作品自体やキャプションでなくてもよくて、図録で書いていても構いません。

こうした説明過多による違和感が出展作品のあちこちに見受けられることが、ユージーン・スタジオの展覧会の賛否両論の“否”のほうの大きな根拠になっています。

★ 寒川さんの問題 ②

またもうひとつ、問題点があります。作品のテーマとの矛盾です。
『ホワイト・ペインティング』について、ユージーン・スタジオはこのような見解を出しています。

この試み(引用者注:アメリカ、メキシコ、イタリア、スペイン等で行われた、『ホワイト・ペインティング』のプロジェクト)は、国家や宗教、種族、組織などの大きな単位、グローバルレベルでの分断、例えばブレグジット、国境の壁、難民問題などの状況とは対照的にも見えます。

https://the-eugene-studio.com/project03/series-of-white-painting/

ではなぜ、正教会のイコンを出したのでしょうか? 正教会はロシア正教会、ギリシャ正教会などといろいろの国によって組織がある宗教です。その時点で、「国境の壁」がありませんか? 確かにプロジェクトの協力者はプロテスタントやカトリック信者である公算が大きく、宗教の壁を超えています。でも、どうして、接吻する相手が国境を持っている宗教なのか? そもそも、国境のあるところから国境のあるところに「行く」という行為は、ブレグジットや難民問題とは対照的でなく、むしろそちらのほうに近いのではないでしょうか? (注)

自分たちで創った宗教、つまり、フランス革命後に一瞬だけ出てきた「最高存在」みたいなものであるなら、話は分かるんです。でも、正教会のイコンを使うといまいち説得力を持ちませんね。蛇足ですよ。

正教会はキリスト教のひとつの宗派に過ぎません。確かに、日本人にとっては正教会もプロテスタントもカトリックも同じように見えるかもしれません。でも、寒川さんのようにミッションスクールを出られた方が、こんなざっくりとした解釈を誘発するのは問題がありませんか? これじゃ、日本人と韓国人は同じ民族といっている外国人と変わりません。

★ 鑑賞者の問題

多くのひとが正教会を間違って解釈してますね。特に資生堂ギャラリーの資料のは酷いです。

https://gallery.shiseido.com/wpss/wp-content/uploads/2017/12/wpss-the-eugene-studio-12-century-later-201712082.pdf

ここに「ロシア正教やキリスト教で見られる聖像(イコン)」とありますが、正しくは「正教会で見られる聖像(イコン)」ですね。

ロシア正教もキリスト教ですから、まったく違う宗教のように書くと誤解を招きます。また、イコンはキリスト教のなかでも西側の宗派、つまりカトリックやプロテスタント、聖公会ではほとんど見られません。それに前述の通り、正教会は国ごとに宗教組織が分かれていますから、ロシア正教だけがイコンを使用しているわけではありません。

東京都現代美術館のプレスリリースのように、「1800 年代末のロシア正教のイコン(聖母子像)」という表記であれば、問題ないのですが。

https://www.rekibun.or.jp/wp-content/uploads/2021/07/20210721_MOT_Eugene-studio_press.pdf

本展についての賛否両論があることはいいことだと思います。否定ばかりだとなんでこの作家が認められたのか分からなくなりますし、賞賛ばかりだとフィーリングだけで評価されたのではないかという疑いが出てきます。

本展を否定するのがよくないと考えるひとは、美術鑑賞のときに感性を大事にしないひとがいることを理解できていません。さっきも言った通り、感性というのはレディメイドなものです。おいしいものを食べたらおいしいというのと同じです。でも、現代美術はそのおいしいの枠組みを疑うことに意味がある。そう考えるひともいる。このことに対しては寛容であってもらいたいものです。

注:確かにEUは本質的には圏域内には国境を持たない実質的な国家です。しかし、ブレグジットと対極的なものとして措定するなら、圏域内で国境がないことに注目するべきです。

追記: 『ユージーン・スタジオ 新しい海』を批判しているひと全体に対して、「ジェンダーがあれこれ」とよく分からんことを言って罵倒しているひとがいる。まあ、それはいいんですけど、ジェンダーやヘイトを研究対象としているひとが、自分の旦那さんのことを「外人」と表記するのはおかしいでしょ。デリカシーなさすぎ。


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