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感性の、その先にあるものが見たい 『ユージーン・スタジオ 新しい海』感想

12月5日をもちまして、2021年の展覧会の鑑賞予定が終了しました。
今年は48本で、目標の52本には届きませんでしたが、いろいろあって行けなかった展覧会も多々あるので、満足はしています。

今年の総括は別の場で書くとして、いま東京都現代美術館で開かれている『ユージーン・スタジオ 新しい海』という展覧会の話をします。ユージーン・スタジオとは寒川裕人さんというアメリカ生まれ宝塚育ちの日本人が主宰するアーティストスタジオです。

インターネット上では評判のよい展覧会で、今年の一番に挙げる人が多くいました。現代美術好きの美意識に合わせて作られているので、「ウケ」がいいのかもしれません。

廃墟を模したインスタレーションや室内に水と鏡を張った「無限の空間」、カラーチャートのような絵画、屏風絵のようなペインティング……。どれもこれも、以前どこかで観たような現代美術の「変奏」です。現代美術好きになじみがあるビジュアルを持つ半面、制作過程が一風変わっている。普通とヘンテコのちょうどいい塩梅が観るひとのこころをつかんだのでしょう。

ただ、この展覧会は感性に訴えるだけで終わっている気がします。

まず、作品が持つメッセージ性が弱かったように感じます。人々には多様性があるとか、太陽光に塗料を当てれば退色するとか、今日この状況は偶然から生まれているとか、廃墟に人類と文明の衝突を見るとか。どれもこれもありきたりで表面的なんです。一般論のまま作品が制作されているので、突き刺さるものがありません。

また、ユージン・スタジオには自分の言葉に頼りすぎているきらいがあります。作品にメッセージを伝えたいのなら、作品のなかにヒントを入れなければなりません。ところが、この作品群には作品を読み解く手がかりがありません。作為的に「廃墟」を作っただけの作品のどこに2001年宇宙の旅が見えるでしょうか? 人類と文明の衝突が分かるでしょうか? かの作品はなぜかベッドとソファだけは燃やされていなかったので、私には白々しい廃墟のようにしか見えませんでした。だからでしょう、作家は作品についてあれこれと言葉を連ねている。村上隆さんや森村泰昌さんも自作についてよく語りますが、作品にきちんとヒントがある。ユージン・スタジオにはそれがない。その差は大きすぎますよ。

最大の問題は、テーマのバラバラさですね。これでは作家がどのような問題意識を抱えているのかが分かりません。同時期に同館で開催されていた、クリスチャン・マークレーには「音と(漫画の)オノマトペ」があり、久保田成子さんには「ビデオと装置を使ったメディア体験」という作家に通底しているテーマがあります。ユージーン・スタジオの展覧会にはそれが見えませんでした。

右のイラストはクリスチャン・マークレーの展覧会のビジュアルに使われています。驚いた人間の表情筋が漫画のオノマトペで表されています。作者は一つの表情のなかに様々な感情を込めているんですね。私は普段、表情の細かいニュアンスまでは考えないので、こうして作品と向き合うと新鮮な印象を受けますね。

それはともかく、現代美術家に限らず、表現者というのは何らかの問題意識を持って創作をしています。岡本太郎さんが縄文土器にこだわったり、村上春樹さんの小説に出てくる人物が軽々しくセックスしたりするのは、何らかの意識のベクトルがあるからなんです。その問題意識がユージーン・スタジオからは見えてこなかった。寒川さんはやたらと自分の作品について語りたがるのですが、問題意識については他人事のように語られて、終わっている。これが残念で仕方がありません。

ユージーン・スタジオの展覧会は美術好きの感性に響いたのだと思います。でも、感性というものを最初から疑っている人間にはいまいちだったかもしれません。twitterではこの展覧会をワーストと答えるひともいらっしゃいました。

私としては感性に訴えかける作品よりも、新しい感性を教えてくれる作品のほうが好感が持てます。感性なんていうものは自分の経験で身につけたものに過ぎないですからね。特に、ユージーン・スタジオは新人に近い立場なのですから、ありきたりの感性を見せて感動させるってのでは、志が低すぎますよ。展示された作品はくいだおれ人形みたいな見せ物と何ら変わりありません。見せ物は見せ物だから価値があるわけであって、現代美術と称するもの見せ物で終わっては困るのです。

感性のその先にあるものを見せてほしい。これが、世に出されるすべての芸術作品に対する願いです。

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