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東京旅行 ゴールデンウィーク展覧会寸評 ~前編~

5月1日から5日まで東京に行って、展覧会三昧してきました。毎日15000歩も歩いたので、足の裏がいまジンジンしてます。
さっそく、観てきた展覧会についてコメントします。

①シダネルとマルタン展

アンリ・ル・シダネルもアンリ・マルタンも新印象派の技法をベースに、ほかの美術様式(象徴主義や印象主義など)を取り入れることで独自の美しい絵画世界を構築しました。そんな二人の展覧会です。

これはおすすめです。首都圏に住んでいるひとは絶対に行ったほうがいいです。

展覧会のサブタイトルに「最後の印象派」とありますが、そこは無視してください。新印象派ならではの点描と色彩感覚を楽しんでいただければと思います。スーラやシニャックは好きでないというひとも大丈夫。彼らが新印象派の第一世代なら、マルタンやシダネルは第二世代みたいなものです。理論で頭でっかちになっていないので、感性だけでも楽しめます。

この展覧会については別の機会に紹介したいところです。

②ボテロ展 ふくよかな魔法

南米コロンビアの国民的な画家で彫刻も手がける、フェルナンド・ボテロの展覧会です。日本では26年ぶりの個展だそうです。

正直、行きたくなかった展覧会でした。だって、ただの太ったひとばっかり描いている画家ですからね。

ところが、これもいい展覧会でした。ボテロの絵画はぱっと見ではとっつきやすい作品ばかりのようですが、よく見れば、美術について深く知っているひとほど楽しめます。会場では「かわいい」というコメントで終わらせているひとが多かったですけれど、これではいけないと思える芸術家です

近代以前の西洋美術を学んでいれば、この作品をもっと深く味わえます。例えば、静物画ではボテロならではのヴァニタス(西洋風の「儚さ」)を表現できています。果物が腐らずに、虫が食べてたりハエが寄ってたりするんですね。そのうえ、セザンヌのように「こんなテーブルやったらオレンジが落ちるやろ!」っていいたくなる果物の配置とか。古典作品をうまくパロディしているんですよ。

それと、技術。筆の跡がないんですよね。“ものや人物を太らせて描く”というアイデア勝負の画家のように見えるんですけれど、その実、かなり丁寧に作品を創る画家なんですね。そういうところに、私はジャン=オーギュスト=ドミニク・アングルのような仕事を見ました。

③スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち

題名の通り、スコットランド国立美術館の収蔵品を展示した展覧会です。
個人的にはいまいちな展覧会でした。1900円出すほどのものではないです。

見所はベラスケスとレンブラントの作品です。いずれもZ軸(奥行き)が加えられることで迫力を生み出しています。絵画的というよりも、映画的な表現ですね。

特にレンブラントのほうは女性の表情が不安や怖れなどが入り交じった複雑な表情がすばらしいですね。テレビドラマの役者も複数の感情を混ぜた芝居ができれば、ドラマがより面白くなるんですけどね。

それはさておき、見所以外は日本の主たる美術館でも観られるレベルの作品が多かったですね。ルネサンス期の絵画もパッとしたものはなかったですし。

後で調べてみたんですが、スコットランドのGDPは埼玉県よりも少し多いぐらいなんですよね。つまり、神奈川県、愛知県、大阪府よりも少ないということです。そう考えれば、これらの公立美術館のほうがいいコレクションを有していてもなんら不思議ではありません。

実際、大阪中之島美術館のコレクション展はとてもよかったですし、愛知県美術館や横浜美術館などのコレクションを展示した「トライアローグ」もなかなかよかった。もちろん、西洋絵画は近代以降のものが中心にはなりますが。

いずれにしても、あんまり○○美術館展はおすすめしないですね。やたらと来場者数が多くなりますし。

④上野リチ ウィーンからきたデザイン・ファンタジー

上野リチさんというテキスタイルデザイナーの展覧会です。2008年に京都国立近代美術館で自館のコレクションをもとにした展覧会が開かれましたが、今回はその拡大版といったところでしょう。リチが日本に渡る前、ウィーン工房で行った仕事がいくつか紹介されていました。

個人的にはデザインが好きならどうぞ、というレベルでした。美術館で行う展覧会にしては研究が足りない気がしました。リチさんを研究するのが現在ではかなり困難になっているからだと思います。

第一に、ウィーン工房時代の作風はウィーン工房と聞いて思いつく作品とはまったく趣が異なります。展覧会でもコロマン・モーザーの椅子が展示されていましたが、明らかに場違いな感じでしたね。座面の市松模様が印象的なこの椅子はウィーン工房のデザインの代表格なのですが。

もうひとつ、リチの研究を難しくしているのが、コレクションの来歴です。このコレクションは上野リチの夫である上野伊三郎が設立した専門学校が京都国立近代美術館に寄贈したものです。それが2006年のことです。一方、上野リチが亡くなったのは1967年。上野リチの死後約40年後になって、ようやく作品群が美術館の手に渡ったわけです。生前の上野リチのことを研究するにはあまりに時間が経ちすぎたのです。

上記二つの理由から、上野リチについて美学的に研究するのは困難といえるでしょう。

本展について、上野リチの人生からいろんなことを推測するレビューが多く見られます。他人のレビューについてとやかく批判を言いたくないのですが、作家の生い立ちのようなテクスト(≒作品)外の推測だけをもとにしてテクストを論じていくやり方は、批評の方法としてはあまりに稚拙です。その批評の仕方がテクストをないがしろにしたことによる産物であることに、是非気づいていもらいたいものです。

話はそれますが、三宅一生さんが国立デザインミュージアム構想を唱えています。私はこれには反対の立場を取っています。その理由のひとつとして、デザイン研究のインフラが不足したままデザインミュージアムを作れば、公金で雑貨屋を作るのと同じものにしかならないと考えているからです。カップルが「かわいい」と言いまくるためだけにある「ミュージアム」に一体何の社会的価値があるのでしょうか? 美術館はその「かわいい」がどこから来ているのかを研究し発表する場です。「かわいい」だけを見せるだけの施設に公金を投じる理由が分かりません。

今回の展覧会もまさにそれで、「かわいい」と言わせるだけの展覧会ならば美術的には何の価値もありません。単なる興行とほとんど変わらないということです。ただ、展覧会の最終盤で上野リチの作品はデザイン画をかたちにしたものがいくつか展示されたのが救いといえるでしょう。デザインはデザイン画を描くひととそれをもとにプロダクトを造るひとの共同作業ですから、デザイン画だけでは片手落ちです。

とはいえ、正統派のアプローチでは上野リチについて研究するのが難しいのが現状なので、数年後でよいのでもう一度、効果的な研究、もしくは何らかの問題提起を含んだ展覧会を開催してもらいたいものです。

もうすぐ、未明の1時になりますので、今回はここで終わりにします。

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