【追記】遠野遥『教育』のスポーツ・マンについて

遠野遥『教育』が翌年1月に発売されるそうです。野間文芸新人賞に候補作として挙げられたのですが、まあ、何を読んで候補になったのか分からないですね。音羽がというよりは、純文学界隈が、です。

前回、遠野遥『教育』を、インテリたちの知の欺瞞を暴くことに成功したというふうにいいました。けれども、あまりうまく書けていなかったような気がしますので、追記します。

知の欺瞞とは何かといったら、遠野遥『教育』を読んだひとの多くが文中にあることを無視してまで自分の政治的信条に合わせた感想を述べているというところです。

以前にも学校が潰されるかもしれないという場面で、フェイクニュースについて説明をしました。したつもりです。ただ、書いた後に、すべて説明し切れているか分からないので、別の箇所を使って説明します。

作中、スポーツ・マンなる人物が登場するのですが、これは「体育の授業だけを担当していて、学校の運営には関与しない」という、実生活でいうところの体育教師みたいなものですね。

進学校に通っているひとなら分かると思いますが、体育の授業ってほかの授業と違って手を抜きがちになるんですよね。でも、学校はなぜか体育を息抜きの時間に使わせようとしません。作中のように、手を抜いたら担任の教師に報告が行きます(注1)。

そんな怖い存在のスポーツ・マンですが、彼が乱暴を働くところは出てきません。むしろ哀れな存在として扱われます。

主人公が体育の授業を受けている途中に、先生らがやってきて、突然スポーツ・マンに暴力を振るい、連行していきます。

このシーンを読んだ読者のなかには、学校の独裁的なあり方、そしてそこから「アベ・スガ」(注2)批判をされている方がいらっしゃいます。

コンプライアンスのことを考えれば、学校側の対応はどうかと思います。明らかに傷害罪ですからね。学校でそれが許されるということは、この学校には超法規的な何かがあるのでしょう。少なくともこの小説の舞台が日本であるとするならば。

ただしかし、ここで見落としてはいけない箇所があります。先生らがスポーツ・マンを連行した後に、生徒たちが話す内容です。

あのスポーツ・マンかどうかわからないが、下級生の女子がスポーツ・マンに交際を申し込まれたという話を聞いたことがある。その女子は断ったらしいが、スポーツ・マンのほうは真剣だったと。きっとあのスポーツ・マンのことだったんじゃないか
真剣に交際を申し込むとあんなことされるの? 体を触るのは見過ごされているのに?

ここでおかしいと思えるのは3点あります(注4)。

①しばかれたスポーツ・マンは罪を疑われたまま処罰されていること、②罪の軽重がこの学校の生徒たちの基準からしてもおかしくなっていること。評論家の方々、これら2点の言及がないんですよね。不思議ですねえ。いまの時代、そういうことを望むひとが結構いるというのに。ええ、「指笛」問題の話ですよ。

③真剣に交際を申し込むことは生徒にとってはあまり問題ないと考えているのに、学校側がそれを厳しく取り締まっていること。これは解釈が難しいですね。セクハラ問題の現状とも取れますし、交際の申し込み自体を悪く思う生徒は少ないのにシバキあげるというポリティカル・コレクトネスが絡む問題であるとも取れます。まあ、そう解釈する左巻きのひとはいませんがね。

国民目線ではなく上層部の判断で善悪を決まってる風潮って、本当に自民党とかネトウヨだけがつくってるんですかね? 本当に献血を受けたひとたちが宇崎ちゃんポスターを問題視してるのか考えましょうよ。大学教授やマスメディアが言っているんなら正しいって空気を作って、大して害にもならない表現を潰そうとしていませんかね?

スポーツ・マンは先生の取り巻きにえらい警棒で殴られてましたけど、これを「ポリコレ棒」だと読むひとがいないのが不思議なぐらいです。それに、スポーツマン(一般論なので中黒は外しますね)って、保守の象徴じゃないですか。数十年前の学生運動を止めたのは体育会ですし、そんなものを例に挙げなくても東京オリンピック2020での騒動を見れば分かるでしょう。

こんな分かりやすい象徴を見逃すんですよ。読書家さんたちは。馬鹿じゃないですかね。自分たちの主張を押し通すために、都合の悪い箇所は見て見ぬふりしているんですよ。これが文学に関わる人間のすることか。いい加減にしろと。

ノンポリかそれとも保守寄りともとれる本作を、左派的な論調の多い河出書房新社が掲載し、書籍化し、同様に作品の引用なしに左派的な主張をする書評家がコメントを加える。なにかおかしくないですかね? 知の欺瞞というよりも、ここまでくると老害ボケですよ、本当に。

とここまで、書いていてふと気づいたんですが、これって、『教育』をいいふうに評価しているように見えませんかね?

もうええわ、ありがとうございました。


注1:『教育』は進学校の世界観が下敷きになっている箇所がよく出てきます。補習とか習熟度クラスとかまさにそれですね。遠野さんは公立高校出身だそうですが、私立の「受験少年院」の内情をよく分かっているなと思いますね。

注2:私は反自民ではないので、首相に対する感情的かつ扇情的な表記には嫌悪感を持っています。

注3:明らかにならないのはいいんだけれども、ほのめかすぐらいのことはないとアカンのですけどね。こういう怠慢をするから、「オープンな読解」に甘えた誤読問題が起こるのです。

注4:学校のガバナンスのありようとして、教師が生徒に手を出すのは問題があります。けれども、体を触ることは「OK」なんです。これはおそらく、女子生徒が告発していないからでしょうね。これは体を触るスポーツ・マン(2代目)に対して女子生徒が抵抗していないことから想像できます。交際の申し込みは大事でないだけに告発しやすく、処分もすんなり行われる、と。この倒錯までしっかり考えて書けたんなら、遠野さんの素晴らしい才能を持ってると思うんですけどね。

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