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呼吸に合わせて動くこと

「周りに合わせず自分のペースで。」
「呼吸に合わせてカラダを動かします。」

今日のヨガクラスで先生が言った。
先生のコトバと自分の動きを重ねふと気づく。

いま呼吸よりも動きが早いな、と。

気づいてからすこしの間、それでも動きが先行していた。
気づいて立ち止まる。
息を吐いて呼吸を整える。

自然に息が入ってきたことを確かめる。
まるで呼吸に「ついていく」ようにカラダ動かす。
いちいち「いま吐いた」「いま吸った」と意識しないと
いとも簡単に動きが先導する。

何を基準に動いているのか

先に動いたとき・先に呼吸をしたとき
それぞれのカラダの違いを味わってみる。

先に動いたときはカラダが前のめりになる。
呼吸という自分のリズムを見ずして
外のリズムやアタマの中の固定概念に合わせている。
まるで自分の一部が置いてきぼりのようだ。
後ろ髪惹かれる思い、みたいなあの感覚。

先に呼吸をしたときは自分のリズムを感じることで
自分全体に意識がいきわたったようで安心した。
自分の魂がしゃべるとしたら
「見てくれてありがとう」
と言ってくれているかのようだった。

息と動きの差分は秒数にすると0.3秒くらい。
ごくわずなか差だけれど、それぞれまるで体感が違うことに驚いた。

自分の生き方がそのままヨガのポーズに出る

これは単にヨガだけの癖ではなくて
おそらく生き方がそのままヨガに出ているのだろう。

私は長い間、自分の身体的心地よさとはかけ離れた環境で、修行と称した肉体労働をしてきた。しかしコロナによりその環境状況から離れる期間ができたことで、いかに今まで無理をしてきたかが露になった。今後はもう自分の違和感を騙すとこに耐えられそうにない。

これから自分を生きていくために、まるっと自分をやり直す覚悟が必要。前々からうっすら思っていたことを改めてカラダが教えてくれた。

選択基準は自分のカラダ

どうやって生きていこう、と考えても答えは出ない。
決まり切った「ちょうどいいの型」もない。

先生は

「何を選択するかはカラダが教えてくれる」

と言っていた。

いますべきは特別新しいことではない。
外出自粛要請で周りが動き出す中ココロがざわつくけれど
引き続き、いまを続けていこう。

▼たてものと暮らしのエッセイです▼

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