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コトバを学ぶ-2

前回の続き

前回のあらすじ

人の話をちゃんと聞きたい。
そんな思いからインターネットで探しに探して見つけた橋本久仁彦さん(くにちゃん)の講座。東京から高速バスで京都へと向かい2日間みっちりとお稽古をした。そのあと東京でも講座があると知る。

東京での講座

講座当日の朝。
電車を乗り継ぎ乗り継ぎ会場へ。
住宅地を歩き会場の公民館へ。

中へ入る。
和室で6名ほどがくつろいでいた。
みんなは知り合いのようだ。
私はくにちゃん以外全員がはじめまして。
緊張する…。

円座になって座学が始まる。
次第にカラダが場に馴染み
緊張も緩まってきた。
午後は影舞をした。

影舞とは

ふたりペアになり向き合って正座する。
お互い人差し指をだす。
指と指がふれるかふれないかくらいの距離を一定時間保ち続ける。
指の間にいる蝶々をつぶざぬよう逃がさぬようふたりで協力して運ぶようなイメージだ。
動画はこちら。

くにちゃんはペアに合いそうなBGMをかける。
ふたりはBGMに合わせて動くのではなく
あくまで蝶々を大切に運ぶ。
それ以上の脚色はいらない。

私はこの日の影舞で
さとしさんという方とペアになった。

どこに意識を向けていた?

さとしさんは目をつむっていた。
私はどこか怖々動く。
私のゆっくりした動きは
次第に大きな動きへと変わっていった。

影舞後カラダは気持ちよかった。
しかしずっと違和感があった。
なんだろうと考え気づいた。

私はいつのまにかひとりで動いており
さとしさんの指先を感じようとしていなかった。
いやちょっとちがう。
次第に相手を深く感じることが怖くて
意識は向けつつ逃げたような恰好になったのだ。

ショック。影舞に自分の生き方を見る

落ち込んだ。
恥ずかしさと申し訳なさが生まれた。

なぜだろう。
この感覚は馴染みがある。
馴染みの行先に気づくのは少々怖い。
けれどもそういうときはたいてい
ちゃんと向き合ったほうがいい。

ぐっと内観した。
ぞわぞわする。

そうだ。
はっと気づいた。
これは影舞に限ったことじゃない。

私はふだん人や物事と関わる中で、
相手の深層心理を知りたい
混ざりあいたい
と強く思う。
それなのに相手の深い部分が見えかけると
急に距離をとってしまうことがあるのだ。

最近はなくなったと思っていた。
まだその名残があったなんて…。

自分の立ち位置を示す自己嫌悪感

後悔だけで終わってたまるか。
ここから自分に修正をかけていくんだ。

別の人との影舞は指先の関わり合いにだけ意識を向けつづけた。
舞った後は心身ともに気持ちがよかった。
相手と同じ景色の中で舞えたような一体感を感じた。
なにより自分がそのまま自分自身であることを楽しめた。

さとしさんとの影舞で感じた自己嫌悪は尾を引いた。
けれどもこの嫌悪感は嫌わず受け入れる。
2回目の影舞のような生き方へ行くための
勇気の架け橋となるのだから。

つづく

▼たてものと暮らしのエッセイです▼

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