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もうひとつの「田舎の未来」② -集落・家族について

あけましておめでとうございます。
旧年中は多くの方々のご協力のもと、苦しいながらもなんとか生き抜くことができまして、非常に感謝しております。。。

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今年も例年通り近所のお宮で新年の初詣をしてきました。(初詣はこの辺では二年詣りとも言います)

新卒で地元・長野県の企業に就職したは良いものの、半年余りで休職となり、その後なんとなく今に続くまでダラダラとその状況がつづいてしまった2019年…
新年あけてからもその状況は尾を引き、いろいろと波乱の年明けとなっております…(マジで死を考えるなどした)

そんなこんなで今日は、「集落・家族」について書いていきたいと思います。

「集落」と「家族」。

一見異なるレベルのもののように思えますが、今回の記事では”個人の自由度/コミュニティの必要性”という軸の中でこの二つを一緒に扱いたいと思います。


①集落について - 限界集落寸前の僕の「ふるさと」

前回の記事でも書いたように僕の生まれた地元は長野県安曇野市、旧東筑摩郡明科町というところです。

僕の実家はその旧明科町の中でも比較的周縁部、いわゆる中山間地域という区分がなされる集落の中にあります。

中山間地域の地域運営は集落単位で行われてきた場合が多い。農作業・公共事業や生活扶助を共同で行うなど、ある程度の生活・産業基盤を共通する集落が形成されていた。

僕の実家の集落でも上のWikipediaの記述にもあるように、農作業やそれに必要な用水路などの灌漑設備の維持・管理、こども育成会の運営、さらには記事冒頭の写真に写っているお宮の整備・祭事の催行など、集落の生活に必要な幅広い活動を住民の自治によってまかなってきました。

そして、こうした地域活動の大半はボランティアとして行われています無給です

都市において、住民は税金を納めることで行政に消防・警察、公共事業などの社会の維持活動や、教育・医療といった福祉活動を委託します。
一方、農村においてはその一部を住民自身が担っています。農村集落の生活はこうした、いわば共産主義的な地域経営により支えられてきました

しかし、近代以降は資本主義・貨幣経済・都市的生活スタイルが日本の隅々まで浸透。
そうした中で農村集落は居住地として経済的価値を失い、急激な人口減少・高齢化が起こりました。

ちなみに僕の集落は65歳以上の人口割合が50%近くとなり、限界集落(同50%以上の集落)の一歩手前の状況にあるということになります。
(皆さんの地域のデータも総務省統計局提供のjSTAT MAPで調べられます。興味があればぜひご自分の地域のデータも見てみてください。)


目と鼻の先にあるふるさとの「最期の姿」

このように高齢化や人口減少によって集落の経営が成り立たなくなるとどういう事態に陥るのか。

例えば集落の共有設備について。地域の用水路は、農業だけでなく防火用水としても利用されているため、維持が難しくなっていくと消防活動に支障が出ることが考えられます。
また、用水路が落ち葉や泥で詰まっていれば、大雨の際水があふれてしまい、水害のリスクにもつながります。

他にも、地域のお祭りや行事がなくなることで、コミュニティの維持が困難となり、災害時の初期対応に支障が出たりするなど、その地域での居住可能性がどんどん蝕まれていきます

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(↑集落で実際に配られたお知らせ)

そうなると人口減少はさらに加速度的なものとなり、果ては誰も住む人が居なくなった廃村集落となってしまいます。

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僕の集落の周りにもかなり多くの廃村集落があり、その自然に還っていくような姿を見ると、ふるさとの未来の姿を見ているような気がして得も言われぬ気持ちになります。

正直あんまり共感されたことはないし、自分でもなぜそういう気持ちになるのか合理的な説明はできません。しかし、自分の生まれ育った場所が近い未来無くなっていく方向にあるという事実には、なにか耐え難くやりきれないような気持ちにさせられます


②家族について - 「家」という概念

そんな、今では限界集落寸前の農村で、村の代表にあたる庄屋の役を代々務めてたのが僕の実家。らしい。

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家系図です。長すぎますね。意味わからんでしょ。

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ボロボロになった家系図の冒頭、なんか藤原氏って書いてある。ウケますね。まぁ本家とは全く関係ないんでしょうが。

字体からして明治期以降に書き改められたものっぽいですが、仏壇にある位牌とも照合できるのでそれなりの信ぴょう性はありそう。
初代のところに書いてある「文禄」というのは西暦だと1593~1596年のことで、上の写真にも記述がみられますが、秀吉の全盛期にあたるようです。

僕の祖父は昔よくこれを僕に見せて自慢していました。
小さい頃の僕は「自分の生まれた家はなんかすごいっぽい」と誇らしくなったような気持ちでいました。

そして、「その家系に生まれた長男」という、現代社会ではほとんど意味をなさない自意識が無意識のうちに自分の中に刷り込まれていきました
(このことについては次回も書こうと思います。)

現在の僕の家族は祖父母、両親、そしてその子供である僕らきょうだいの三世代の構成。三世代で住んでいます。
ちなみに家の敷地には母屋・離れ・納屋の三棟の建物があり、庭と合わせてまあまあな面積があります。
兼業農家をやっているので田んぼも数枚持っています。

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どんな家族かというと、サマーウォーズの家族を想像していただくといいかと思います。
あそこまで極端ではないですが、なにかと古くからの伝統とか風習が残っている家です。

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(↑位牌が何十個と置かれる盆棚。中央雛壇下の木札みたいなやつも位牌)

サマーウォーズではおばあちゃんが一家の総代を務めていましたが、僕の家は家父長制の名残が今でも感じられるような家。
おとこしょ(男衆)とおんなしょ(女衆)の家での役割が明確に分かれており、特に祖父は「女衆の仕事ぶり」についてよく口出しをしていました。

両親は共働きで家計を支えてきてくれましたが、そんな家なので、母の負担はかなりのものだっただろうと察せられます。

一度上京した女性が地方に戻ってこないという話題が最近ありましたが、その原因を身をもって知れるような家庭です。


三世代同居が生み出す歪み

現代社会の傾向としてよく語られてきたのが「核家族化」。
今ではさらに進んで単身世代が増え続ける世の中ですが、我が家はそうした傾向などどこ吹く風の三世代同居家族です。

ただ、世の中の傾向に逆らった家族構成というのは結構維持が難しい。

まず、世代間で話が通じないことがめちゃくちゃよくある。
祖父母や両親は生まれた年代が異なるのはもちろん、人生をずっと地元で過ごしてきた人たちです。

就職の話になると、例えばアクセンチュア・PwCのような外資系大企業より地元企業の方が圧倒的にいい会社だと思われています

仕事の価値観もそうだけど、一番きつかったのはメンタルヘルスに対する考え方の違いかな…
父はちょっと前まで「精神科には変な人がたくさんいる」みたいなことを普通に言っていました。

そして、三世代同居で一番負担が大きいのは年老いた祖父母の介護

同居家族がいる場合、介護が必要でも老人ホームなどの施設に入る際の審査が厳しくなることもあるようです

いま、高齢者介護施設というのはどこもいっぱいで、周りに介護してくれる人がいないなど緊急を要する状態でないとなかなか入れてもらえません。

なので三世代家族のような若年世代が多い家庭だと、たとえ日中に現役世代が全員働きに出ていても、同居家族がいるとみなされ施設への入居が難しくなります

共働きが広まる以前であれば、日中でも介護する家族がいたため(その状況が好ましいかは別として)なんとか成り立っていた「高齢家族との同居」ですが、男女共同参画が進んだ現代においては現役世代の負担が大きくなってしまっています


個人の自由とコミュニティの維持の狭間で考えること

こんな感じで資本主義経済の発展とそれに伴う社会の変化により、農村コミュニティやその中にある伝統的な多世代同居の家族は徐々に維持が難しくなってきています。

農村の生活は現代の価値観に照らし合わせると、はっきり言ってかなり不自由です。
そうした不自由の中で生きることなど誰だって敬遠するのはわかっているし、自由な社会は追求されて然るべきだと思っています。

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(↑隣町の山村集落。中央右に家屋が確認できます。)

しかし一方で、農村という場所は農耕社会の成立から近代化までというとてつもなく長い間、循環型で持続可能な社会を形成してきました。
これは大量消費がさらに加速する現代社会にとって重要な実績です。


そして、農村コミュニティの中にある多世代同居家族も、核家族世帯よりも子供の見守り機能やセーフティーネットとしての機能が高いとも言えます。
これも社会保障費が増大する現代においてヒントとなり得ます。

ただ、やはり何度考えてもこういう生活から不自由さは拭えません。

仕事のほかに土日に無給で地域活動に参加したり、価値観が全く違う親世代・祖父母世代と一緒に暮らしたりというのは想像以上に生半可なものではありません。

これは僕の短絡的な見方かもしれませんが、現状では個人の最大限の自由の追求と、上で述べたような農村集落・多世代同居家族の維持というのは真っ向から対立する概念なのだと考えています。

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(↑廃村集落に鎮座する石像。ついつい見入ってしまいます。)


旧来型のコミュニティは「自由な選択肢の中の1つ」として生き残れるか

そんな中でも全国各地で、都市部からの移住者が、持続可能な地域の可能性について模索しています。
生活が比較的不自由な農村集落にも、地域おこし協力隊などの形で若者が入っていく事例は年々増えています。

彼らはふるさと回帰支援センターなどで数ある自治体の選択肢の中から自らの適性に合った土地を選び、選考を経て現地に赴任します。

このような形で、農村のような旧来のコミュニティが、自由で多様な価値観のもと、居住・ライフスタイルの選択肢の1つとして存在する
こうした姿が実現することで、農村の存続可能性は高まっていくのではないでしょうか。

ただ、こうしたコミュニティの在り方は
・各地域が"選択肢"となることで、他地域との競争にさらされる
・選択のミスマッチにより都市住民・農村住民双方の分断が深まる
・移住者が、元々集落に住んでいた住民の生活を脅かす存在となる可能性がある
などのリスクを抱えていることを十分に考慮しなければならないと思います。

数年前に「ゆるやかな大麻コミュニティ」というパワーワードがネットをにぎわせたことがありましたが、この事件、僕の集落のすぐそばで起きた事件です。
たとえ移住者のおかげで農村が維持されたとしても、こうして犯罪の温床となってしまっては元も子もないし、元々住んでいた住民の気持ちを踏みにじるようなことになってしまいます。

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社会の変化のスピードがさらに加速していく中で、農村の数は今後さらに減っていくでしょう。一方、反比例的に農村の価値は貴重なものとなっていると感じます。

ちょっとありきたりな話題に収束してしまいましたが、農村での生活とそこで暮らす伝統的な家族形態について紹介してきました。

自由で合理的なライフスタイルと、生活基盤としてのコミュニティの維持。
この二項対立の中でどうすれば持続的な地域社会を創り出せるか。

ここで紹介したモノが皆さんの視点においてどのように映ったかぜひ教えていただきたいと思うし、農村集落や家族の未来について考えるきっかけとなれば幸いです。


最期に僕にとって衝撃的だった1冊の本を紹介して終わりたいと思います。

民俗学者として有名な柳田国男が、約90年前に農政官としての立場から農村の在り方に記した本がつい最近(2017年)になって文庫化されました。
(現在Kindle Unlimitedでプライム会員は無料で読める模様)

この本を読むと、いま現在の農村についての議論とその課題解決策の提唱は、柳田国男によって90年前にすでになされていたということがわかります。

そして、巻末の解説のところで中小企業不要論ならぬ"農村不要論"を唱える学生が登場します。

この本を読み終わったあなたはこの学生になんと応えるか、ぜひ読み終わったら僕に教えてください!

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