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【声楽留学】もっと早くするべきだったと感じた3つの瞬間~イタリアVer.~

はじめまして。声楽コーチのSACHIMIです。

今回は、振り返ってみて『もっと早く留学しておけばよかった』と感じた瞬間について書いていきたいと思います。

筆者は、29歳からイタリアに留学しました。一般的に少し遅い留学かと思います。日本で大学院を修了し、日本のオペラ団体の研修所も修了し、会員となってからの留学でした。

置かれた環境や性格など個人差のある内容ですので、こんな風に感じる人もいるのね~と気楽に読んでください。

それを踏まえた上で感じたこと3選。


若い方が注目度が高いし、有望視される。
日本でアカデミック(学業的)なことをほぼすべてしてから留学したため、海外でまた大学等に通うことが嫌になってしまった。
無駄に焦らず、落ち着いて勉強できる。

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①若い方が注目度が高いし、有望視される。

コンクールやオーディション、マスタークラス、音楽院など、若くして歌えていると、周りはいろいろな機会を与えてくれるもの。

【親元を離れ、一人頑張って海外生活をしている若いアジア人】

特に私のいたイタリアは、家族みんなで暮らすことが当たり前のような国。一人暮らし=かわいそう!!と考えがちなイタリア人にとって、若い有望な子が一人で頑張っている姿は応援したくなるようです。(特に南イタリア)

とはいえ、若くなくてもいつも温かく接してもらいましたので、若くなければいけないという話ではありませんよ(笑)

ただ、若いということはそれだけ注目を浴びやすいし、期待をもかけてもらいやすい。多少荒削りであっても多めに見てもらえます。

どんな分野でも似たようなことはありそうですよね。

②日本でアカデミック(学業的)なことをほぼすべてしてから留学したため、海外でまた音楽院や大学に通う気に慣れなかった。

今後、ヨーロッパで生活していくのあれば、現地の音楽院を修了しておくとビザの面や自分のプロフィールの充実の面でも良いことは多いです。

しかし私は、留学を決めた際、音楽院に入る選択を端から入れていませんでした。

それどころか『もうたくさん!!』と心の底から思ってしまいました。

なぜかというと『疲れていた』んですよね・・・。

日本は、上下関係や師弟関係、そして礼儀をとても大切にする国。そして残念ながら島国ならではの『出る杭は打たれる』といった空気もあります。

せっかく努力して入った大学院生活では、教授陣との関係や、また常に注目され、品定めされているような、そんなピリピリとした雰囲気を毎日感じていました。

そのため、もともと自由奔放に育っていた私は、神経を削ってなんとか常識的な模範的生徒になろうと頑張っていました。

『あの子はダメね』とレッテルを張られないように…!と必死で。

でも実際は無理な話で、だんだん化けの皮は剥がれていきました。自分の性には合わなかった2年間でした。

そのため、留学時、音楽院進学は頭になく、それどころか『もうたくさん!!』と心の底から思ってしまいました。

もし、大学院に入る前に留学していたら、そのまま留学先のどこかの音楽院に入学していたかもしれない。

とはいえ、振り返ってみても、大学卒業時には留学を全く考えていなかったので、自分のタイミングは29歳の時以外にはなかったのも事実。

後悔しようがありません(笑)

無駄に焦らず、落ち着いて勉強できる。

私は29歳で留学を始めました。最初は学べるということにワクワクしていましたが、2年も経つと、何かしら結果が欲しくなりました。

それはやはりコンクールになってくるのですが、2年目では受けても残念ながら結果につながりませんでした。

結果がついてくるようになったのは、3年を過ぎた頃。32歳目前でした。

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アカデミーオーディションやコンクールには年齢制限があるものがあります。それが32歳から33歳。

焦っていいことはないとよく言いますが、正直私はかなり焦っていました。

レッスンでは情緒も不安定になりがちだし、自己嫌悪にも陥りやすかったです。

さらに焦りは年齢制限にとどまらず、女性ならではの出産のリミットにも及びました。

結婚し、子供を産みたいという気持ちは揺るがなかったため、その部分でもタイムリミットを感じました。

ただこれは、結婚する相手や、また家族の理解やサポートがどれほどあるかによって変わるので、どこまでも私の場合のお話です。


【結論】早いに越したことはない!



以上、もっと早くするべきだったと感じた3つの瞬間でした。


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