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居場所をつくるひとのしなやかさ

私のように各地転々としていると、アイデンティティのかけらのようなものがあちこちに散らばっていて、何か確固たる帰属意識を持たないままここまで来てしまったように思う。

で、地元はどこなの?と問われると、一応、福岡県の久留米市になるんだろう。11〜18歳の8年間住んで、実家はいまもそこにある。最近のローカルブームには比較的ちゃんと乗っているほうで、いわゆる「筑後エリア」としては雑誌にもたびたび取りあげられるし、実際、元同僚もまったく縁もゆかりもなかったところから、地域おこし協力隊を経てIターン移住した。

ただ、お盆や正月に帰ると、なんとなく所在なさを感じてしまう。いや、ありがたいことに夫の実家は自分の実家よりむしろ居心地がいいくらいで、それにはなんの不満もないのだけど、数少ない友人と会うにも、それぞれの家族行事もあるし、お店もあまり開いていないし、「じゃあまた今度ね」となってしまう。

私が地元を離れてから、商店街のセレクトショップが軒並み郊外のモールへ移転するかつぶれて、居酒屋だらけになって、立ち読みしてた本屋はなくなって、二つあった百貨店は一つになった。『BRUTUS』や『Discover Japan』に載ってるような「ローカルにあるハイセンスなお店」には全然馴染みがなくて、いつも行くタイミングを失っている。JRの駅は嘘みたいに立派になって、近くにタワーマンションが建ったけど。

夫が「いつかは地元に帰ろうと思う」と口にするたびに、そこに私の居場所はあるのだろうか、と少し心がささくれてしまうのは、隠しようもない本音だ。

思い出話をつらつらと書いたのは、モリジュンヤさんの新しい試みを読んで、いても立ってもいられなくなったから。居場所を自ら作りだせるひとの、しなやかさ。東京を拠点にしながら、名古屋・中部エリアのメディアを立ち上げ、そこからコミュニティを広げ、今度は地元・岐阜県美濃加茂市でコミュニティスペースを立ち上げるのだという。

私はいま東京(二度目)に来て4年目だけど、まだメンタリティがわりと地方寄りなのかもしれない。しかも、冷嘲寄りの。「都会から戻ってきて何か新しいことをやろうとするひと」に対して、最大限サポートするひともいれば、冷ややかな目で無関心を装ったり、あるいは足を引っ張ったりしようとするひとが少なからずいるのを、経験的に知ってしまっているから。

それでも、

「いつか」「きっと」の言葉を跳ねのけて、実際に手を動かしているひとのほうが、圧倒的に素晴らしいに決まってる。動いているからこそ見えてくる景色がある。集まるひとがいる。

私はいったい、いつまで「いつか」「きっと」を隠れ蓑にしているのだろう。いつだって自分の居場所は自分でつくるしかないのだから。

とかなんとか考えてたら、柿次郎さんもお店をはじめたので速攻で支援しました。同世代すごい……うかうかしていられない……。

読んでくださってありがとうございます。何か心に留まれば幸いです。