見出し画像

なんでもできると思ってた

今も昔もなんだか遠慮しがちで、自虐や皮肉がナチュラルに出てしまうくらいはライトにひねくれている性格なのですが、実はとても自信過剰なところがあって、根拠のない謎の全能感に満ちあふれていた頃もあったのです。具体的に言うとそれは、大学生の頃までずっとだった気がする。

自分で言うのもなんだけど、小さな頃からわりと勉強ができたほうで、運動もできたほうで、絵も描けたほうで、歌も歌えたほうだった。大した努力も積み重ねもないから、どこかでガクッと痛い目見ればよかったのかもしれないけど、本当にほどほどにいい感じだったのですよ。あ、数学だけは中二で挫折したのだけれど。

でもってどれにも興味があった。大学は社会系か英語系に進めたらいいな、とか、テニスは観るよりも圧倒的に自分がやるほうが楽しかった、とか。ひそかに漫画家になりたい時期もデザイナーになりたい時期もあったし、ミュージシャンになりたい時期もあった。けれど「コツコツがんばる」といった類の具体的な努力やインプットアウトプットは全くしてこなくて、そのまま大学生になってしまった。大学は「なんとなくマスコミ系がいいかも」と思って、たまたま引っかかったところだった(「京都に一人暮らしする」ということすらあまり意識していなくて、たまたま地元で試験を受けられるところ、という条件で選んだ)。

大学で、軽音入りたい、デザインやりたい、映画撮りたい、とかいろんな興味はあったものの、結局「なんでもやれそう」な企画系のサークルに入って、著名人に会ったりフリーペーパーを作ったりしていたら、なんとなくそれが忙しくなってきて、短期留学行ったりもして、ファッションサークルのショーモデルやったりして、たくさんライブを観に行って、そこそこ充実したキャンパスライフを送ってしまったのです。

それで、就活でも「私はしがらみに頼らない」とか謎の全能感で、OB・OG訪問も全くせず、「いろんな企業の話を聞けて楽しい!」とか思いながら活動していったら、

当然、第一志望のマスコミ・広告系には全く引っかからず、かろうじて西武百貨店だけから内定をもらった。

そこから自分のやりたいことに近づいていったのは、また別の話、として。

今、取材していると「自分のやりたいことを仕事にする」ことの強さについて、いろんな人から聞くことが多いのだけれど、「自分のやりたいこと」に正直になることなく、なんとなく全部の可能性を残しておきたいなーとフラフラしていった結果、何も残らなかったし、そもそも「ガイドラインを引いて、コツコツ努力すること」の大切さを身につけてこなかったことが、今になって本当に身にこたえている。

「書くこと」って、本当に100%「コツコツ」なんだよ。自分が手を動かさないと、何も始まらないの。(という、至極当たりまえの話。ただいままるっと一冊書籍構成中です。マジでがんばらないと年が越せない。がんばる)

===========

なんてことをなぜか、DAOKOちゃんを見て思い出したのでした。彼女は、歌も歌えるし絵も描けるし、文章も書けるし踊れるし美しいし、なんでもできる。でもそれはティーンエイジャーの頃から目の前のツールや手段を使って、人と出会って、実際に手を動かしてきたからなんだな。彼らの世代には、本当になんでもできる人がたくさんいる。それはいろんな気持ちに蓋したりいろんな条件に言い訳したりしなかったからなんだろうな。

東京にいると本当にできる人が目について、しかも本当に努力しているから、自分の何もなさに悲しくなるけど、それでもさまざまな機会を快くくれる人たちに本当に感謝している。いい歳なのにこんな稚拙なことを書くのは情けないけど、いいかげんがんばらなきゃ、本気で。

私にはまだ、会いたい人、話を聞きたい人が山ほどいる。

===========

文字通り鬼リピしているけど、今週のMステが楽しみすぎる…こないだ行った岡村ちゃんのライブの感想もどっかで書きたい。

読んでくださってありがとうございます。何か心に留まれば幸いです。