2023/3/19 犬の斎藤
「あのさー、紙を挟んで字をかくやつ、あったよねー」
ある晩娘が訳が分からん事を言うので、一体なんの事だろうとあれこれ差し出したら全部違って、あれだった、あれ。
これだ!
アパレルの展示会といえばコレ、私もいくつも持っているけど、バインダーって呼んでいたかも。
娘はA4サイズのクリップボードにコピー用紙を挟むと、鉛筆片手に嬉しそうに寝室に走っていった。
そして、立ったまま神妙な顔で何やらメモをしている。
その姿は例えばコンビニで、あるいはユザワヤで、商品の在庫チェックをしている人のようでもあり、ああ、うちの子随分大きくなったもんだ、とドアの陰から感慨深く見つめてしまう。
「何やってんの?」
と聞くと、今夜からベッドにいるお人形の点呼をすることにした、という。
え、なんで?居なくなるはずもないじゃん、と私はもちろん言いましたよ。
「だって、下に落ちたときも、これがあれば誰が居ないのかすぐわかるじゃん」
どうでもええわー、と思いつつもちょっと気になる。
どれどれ。
結構ちゃんとチェックしてるー。ああ、うちの子しっかり成長してるわ、とこんなところでもうっかり目頭熱くなる。
あっ、でも待って。斎藤って・・・。
一番上の斎藤だけ、名前が変じゃない?
斎藤と名付けられた大きな犬の人形は、大学時代に住んでいた金沢から持ってきたものだ。金沢から戻ると私はすぐにロンドンに行ってしまったので、斎藤の事はすっかり忘れていた。
2年ほど前、実家を解体するにあたって、持ち出すべき荷物を見繕うために2階の押し入れを開けると、布団の一番上にこれがごろんと横たわっていた。
(何でこんな所にこんなものが)。
首をかしげながら押し入れから出してしばらく見つめた。何も思い出せない。だけど、しばらくすると、うっすらと、霞のような記憶がぼうっと立ちのぼった。
(可愛くないし、大きいし、困ったな)
私はこれをもらった時に、嬉しい顔ができなくて困ったんだった。
あれは夜の金沢で、その日私は誕生日だったのかもしれない。バックパッカーだった私は、休みのたびに長期の海外旅行に行っていた。だから短期間でお金を稼ぎたくて、お水のバイトをしていたのだ(でもだいたいカウンターの中で皿洗いばっかりする、小さなお店です)。
片町の交差点を超えて右に歩くと、左手にコンビニがある。そこの角を左に入った路地の、右手のビルの上に店はあった。酔っ払った客も、店の雰囲気も、夜の片町も好きじゃなくて、バイトは心労でしかなかったのに、私はママに随分可愛がってもらっていたと思う。旅行に連れて行ってもらったり、色々頂いたし、気にかけてももらっていた。
だけど、斎藤をもらった時、私は全然上手く喜べなかった。
きっと私がニコニコ無邪気な顔をするだろうと、あんなに大きな人形を抱えてきてくれただろうに、ママごめん、ときゅうと胸がしめつけられる。もう4半世紀も前のことなのに、そして私はあの頃のママの年をすっかり超えてしまったというのに、傲慢な若者だった自分を思い出して恥ずかしくなる。
だから金沢を離れる時も、ママへの申し訳なさで捨てられず、でも見ることもできず、そのまま押し入れにいれてしまったんだ、きっと。
押し入れに何十年も入っていた斎藤は、鼻にカビがついていたけれど、それを拭いたら昔の斎藤になった。斎藤は毛が長くて目がほとんど見えないし、口もない。一体だれがこんな無表情な人形作ったんだ、とも思う。何十年たったところで、やっぱり私は斎藤に全く愛着を感じない。そしてママごめん、とやっぱり思うのだ。
だけど今、娘が斎藤に異様な愛を注ぐその姿を日々見ていたら、私も少しずつ斎藤が可愛く思えてきた。私の強張った思いと、ママへの申し訳なさが、じわじわと緩み、解けて平坦になっていく。
斎藤は今日も、昼間はリビングで人間一人分の場所を陣取って座り、夜はベッドに戻る。大きい、邪魔だ。だけどありがとう。
斎藤がどこからどうして来たのか、娘は何も知らないけれど、大きな斎藤の向こうに私にはママの顔が見える。片町の明かりが揺れる。
でも、娘のおかげで新しい日々が積み重なり、上書きされていく。ここにいるのは新しい斎藤。
そして娘は今日も、まず斎藤から点呼をとる。
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