ことばって何だろう
最近、『ことば』について、ずっと考えています。
『ことば』について、考えたり、調べたりするほどに、わからなくなってくるのです。
きっかけは、地域の子どもたち対象に開催した冬休みのあそび場でのできごとでした。
それ以前からも、こども達の言葉づかいが気になってはいました。
日常的に「きもっ!」「まじ!」「〇ね」「うざっ」「くそだな」で、会話が成り立っているのです。
あそび場は、それほど広くはない町内会の集会所。子どもも20人ほど。
狭い空間で、それぞれに楽しそうに好きなことして過ごしていているのだけれど、それでも時々けんかは起こります。
私も、様子を見ながら、ほとんどは止めないのだけれど、最終日に勃発したけんかでは、さすがに止めに入った方がよさそうだな、と判断し、間に入ったわけですが、理由を聞いても「うっせ~!だまれ!」しか言わないのです。
何を聞いても、1時間近く「うっせー!だまれ!」しか言わない子。
この子達は、感情を表すことばを、他に持っていないのだろうか。と、思ったのです。
この子達は、こういった、乱暴なことばを常に耳にしている状況なのかもしれないと思ったり、そもそも、ことば自体が大切にされていない気がすると感じたのです。
そんなこともあり、最近は、ことばのことを考える日々でした。
ほぼ日の学校で、最近、日本語学者の金田一秀穂さんのお話を聞いていて、面白かったお話があります。
そこまで聞いて、え?そうなの?と思ったわけです。
ことばって、コミュニケーションのためじゃないの?と。
という言葉に、ハッとさせられたわけです。
というお話に、ああ、そんな風に考えたことなかったなと。
意味のない言葉のやり取り、鳴き声から、さらに、自分が感じたことを、相手にわかってもらいたい。
そこからコミュニケーションが生まれたのかなと。
でも、こちらが発した言葉を聞いて、ほんとうにそのままのこちらの感情や、言いたかったことが伝わるかと言えば、受け取る側が、どう受け取るかはわからないわけですけれどね。
他にも、ことばについて書かれている、『3000万語の格差』という本では、あかちゃんのそばにいる、子どもの養育者の言葉がけによっては、3000万語もの格差が生じると書いてありました。
さらに、親が話しかける言葉の多さだけではなく、命令や禁止の言葉が、言葉を習得するこどもの能力を抑えているということがわかりました。
それは、社会経済的な要因に関係ないということでした。
そして、子どもに注意とからだを向け、子どものやっていることに関心を示す態度や表情で話しかけることが大切であると。
こどもに注意を向けず、不機嫌に発せられた言葉では、言語習得能力は発達しないと。
金田一さんのことばや、この本から得たことばに加え、私にとって、ことばについて考えるうえで、「この感覚はとても大事な、根源的なものに違いない」という、ある直感があります。
それは、金田一さんがおっしゃっていた「感じること」が、とてもだいじなのではないか、ということです。
私は、生命学者や、生命科学者、生き物を観察し、生命の根源を見つめている方々が大好きです。
生命学者の福岡伸一さんの本で、初めて手にしたのが「ルリボシカミキリの青」という本。
生命科学者の柳沢桂子さんの「すべてのいのちが愛おしい」という本は、科学的でありながら、ものすごく愛に溢れた本です。手に取って、これほど愛おしさを感じる本に出会ったことはないです。
レイチェルカーソンの「センス・オブ・ワンダー」も大好きです。
生命や、自然を心から愛し、それらに触れ、見つめ、感動してきた人の、感じたことを乗せたことばが、私の胸を打つのです。
感じることは、そこから考えを巡らせるはじまりです。
こどもは、感じたことを、周りにいるお父さんやお母さん、大人に、「みてみて!こんなにおもしろいよ!」「みてみて!すごいでしょ!」と、感動を分かち合いたいのです。
子どもがたくさんおしゃべりするのは、たくさんたくさん、大好きな人と、分かち合いたいのではないでしょうか。
大人だって、分かち合いたい!
楽しかったこと、うれしかったこと、びっくりしたこと、頭にきたこと、その日感じたことを分かち合いたくて、帰ってきた旦那を捕まえて、弾丸のようにしゃべりたくなりますよね(笑)。
ことばって、感じたことを表現する方法なのかしら?
そういう意味では、言葉の代わりに写真で感じたことを表現する方もいるし、アートで表現する方もいる。歌で表現する人もいる。きっと、料理で表現する方もいますよね。
まだまだ、「ことば」の正体をつかみきれなくて、モヤモヤしています。
でも、ただ一つ、はっきり言えることは、私が「ことば」で表現したいことは、この世界のやさしさや美しさなんだよな~ということ。
しんしんと降る雪。
冬の寒さに耐え、春を待ち望んでいる木々の冬芽たち。
春になったら一斉に芽吹きだす黄緑色の柔らかな新芽。
生き物たちのいのちの誕生。
暑い夏でも、柔らかな木陰とさわやかな風を感じさせてくれる木々。
夏も冷たく、こんこんと枯れることなく沸いている湧水。
毎年その季節季節になると花開く花々。
ターシャ・テューダさんの、「私は人生をバケーションのように過ごしてきたわ」の本の中にあることばが、まさに私が伝えたいことばです。
この感覚は、それを感じたことがある人にしか伝わらないのかもしれない。
でも、この、心から湧き上がる、「あぁ、この世界はなんて美しいんだろう!」というこの想いを、分かち合いたいと思うのです。
読んでいただき、ありがとうございました!お話しに共感していただいて、子ども達の居場所のために、ほんの少しでもサポートしていただけたらとってもとっても嬉しいです。これからもよろしくお願いいたします。