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進路はどこから始まったか③

『水族館の石を洗いたい』から『学芸員の資格が必要みたい?』を経て、家から近い大学で学芸員の資格が取れるところを探した18歳の私は、隣の山口県の大学の『人文学部人文社会学科』へとすすむことになったのです。

水族館の石は・・・

大学2年生の終わりに、卒論などの指導をしてくれる教授、所属する研究室を選ぶ必要があり、人文社会学科では『考古学』と『美学・美術史』しか選択肢がありません。
悩むでもなく『考古学』<『美学・美術史』でしたので、『美学・美術史研究室(略してビケン)』へ。『水族館の石』はふわふわと私の周りにはいましたが、アルバイトに学校に、友達と遊びに行くことに、なにかと慌ただしく生活していくなかで、すっかり思い出すこともなくなりました。

入学早々、アルバイトを2,3件掛け持ちするような生活を送っていたなかで、寮の掲示板にアルバイト募集の張り紙をしたり、講義で仲良くなった友達にバイト先をあっせんしたり、というマネージメント側の仕事は自然とやっていました。

就職氷河期にぶち当たる

ビケンでは、雨が降ったら講義はお休みになり、なにもなくても飲み会をするカメハメハ大王のようなおおらかな指導教官に恵まれ、『就職活動』という4文字が見えた時、すでに世の中は“就職氷河期”でした。
そう、就職先がないのです。というか、選べないのです。
専門の延長線上で考えると美術館や博物館の仕事となり、学芸員資格は講義と最終年度の実習で確実でしたが、たかが4年(実質専門分野の勉強は2年間)をした程度のペーペーが潜り込める隙は全くありません。
その時よくわかりました。世の中に美術館や博物館は多くはない。そしてそこで働いている人も多くはない、ことを。
そして、卒業して専門分野を選んだ先輩達が仕事に就くのに苦労した話を聞き、少しずつ私の気持ちは一般的な仕事へと傾いていきました。

リクルートスーツ

合同説明会という、大きな場所に沢山の会社が集い、沢山の学生が押し寄せるイベントがあります。リクルートスーツを買ったのも、その時でした。(福岡市で開催されるイベントだったので、冬の寒い日、まだ暗いうちから湯田温泉駅を出発したことを覚えています。)
ただただ、会場の広さと黒いスーツの集団と会社名しかわからない展示にへとへとで、それ以後1回も参加することはありませんでした・・・。

興味のあること、好きなことのそばにいること

『普通の就職活動は自分には難しい』と心した私は、自分の就職活動のルールを決めました。
ひとつは『興味のあること、好きなことのそばにいること』。なりたい職業、そのものになるのは大変かもしれない。でも、そばにいるともしかすると道がひらける時がくる、(当時は予感でしたが、今では確信しています。)そう考えたのです。
もうひとつは『自分の強みをそれが弱い分野へと活かすこと』。アルバイトなどの経験から、自分はマネジメントという分野が強そうだと感じていました。よく強みを活かす、と聞きますが、ただ活かすだけでなく、弱い分野を探して活かすのが重要だと考えていました。

そして、アート業界でマネジメントの仕事に就く、という結論に至るのが大学4年生。いささか、決心も遅かったこともあり、そのまま大学院へと進む選択をしたのもその頃でした。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

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