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進路はどこから始まったか②

高校で先生や友達の初めての価値観に出会い、「私」というものを意識するようになりました。今となれば、それより以前、子どもの頃からすでにインストールされていたものがあったことに気づくのです。

思い当たること、影響を受けたひと

ひとりは、おば、母の姉でした。
母は9人兄姉の下から2番目、16歳で母親(私にとっては祖母)が他界した後、10歳以上年の離れた兄や姉たちが母親代わりとなって、育てられた・・・(代わる代わる甘やかされて)育った人です。
なかでも、小学校の先生で、独身だったおばは私と私の妹を自分の子どものようにかわいがってくれていました。
その親とは違う立場のおばから、本、お芝居や美術館に行く機会、お茶のお稽古など、わけもわからない頃から、与えられていたのです。

初めて出会った芸術家

“芸術家”という人に、出会ったのもおばの関係でした。
友達と野山を駆け回っている方が楽しかったのに、毎週迎えに来るからということでしぶしぶ、お茶のお稽古に行っていまして、そのお茶の先生の旦那さんは書家でした。
ただ、その頃の認識は変なおじさん。
白いひげが千人のように生えていて、いつも笑っていて冗談を言っていて。先生は沢山の生徒さんのお稽古をしているのに、こたつでみかんを食べているような人(2階がお茶室で1階は先生のご自宅の居間でした)。
そこらここらに書が飾ってあり、書家であることの形跡はありましたが、今思い出せるのは居間でお話をしている姿です。
お稽古の終わりに迎えの車を待っているときは、いつも先生の居間にお邪魔して、不思議なおじさんを観察したり、おじさんにせがわれたり(方言:からかわれたり)していました。

後日談です。前職でたまたま地域の小学校を訪ねる機会があったのですが、玄関に高田夢現の書が飾られていることに気づき、なつかしく、とてもあたたかい気持ちになったことを覚えています。

経験のシナプス

進路はどこから始まったか①で、進路を選ぶきっかけは「勘違い」と書きました。さらに付け足すと、それを正しい方向に持ってくほどの知識、それを補完する情報収集力や処理力がなかったことにありました。
今とは違いインターネットも一般的に普及していない時代でしたので、学校に並べられた赤本や受験会社が配布する大学ランクでしか、進路を選ぶ方法はなかった時代でした。

ただ、今振り返ると「大学選びやそこで何を勉強したかったか」は、あまり重要ではなかった気がします。それよりもそこで誰や何と出会い、どう受け止めたかが私の血となり、肉となっているように感じます。

そう、まさに血肉です。
経験は地図のように地続きで位置を示せるものではなく、島のようにぽかりぽかりと浮かんでいます。そして、シナプスのような感じで結ばれているのです。タイミングや状況によって、Aという経験が色濃く出たり、Cという経験に引っ張られたりします。

「今日、何を食べよう?」から「今月の資金繰りどうする」まで、私のなかにある経験の島が『ピッピッピ』と反応している、そんなイメージのような気がします。

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お読みいただきありがとうございます。書きながら理解している部分もありますので、読みづらかったらすみません。


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