私の命とおやじギャグ
私の命とおやじギャグ
「右足の次に左足を出すくらいなら死んだ方がましだ」
今みるとバカバカしいことこの上ない言葉だけれど、その当時は本気でツラく悲しく、道路の真ん中で涙が止まらなくなった。駅から20分ほど歩けば着くはずの自宅は遥かに遠く、3時間かかっても辿りつかない。
その頃の私は病んでいた、と思う。わざわざ「思う」と書いているのは、病院へ行くこともできず病名がついていないからだ。とはいえ眠るのも食事もおぼつかなく、10kg以上落ちた体重は30kg台になっていた。
毎日、朝が来なければいいのにと本気で願い、朝日の気配に絶望的な気持ちで号泣する。やっぱり「当時の私は病んでいた」と断言してもいいのかもしれない。
今の私は体重もすっかり元に戻り、毎日をニコニコと過ごしている。いや、体重は元の数値を駆け抜けて「ダイエットしなきゃ」という幸せな言葉を口癖にしている状態だ。
月並みな言い方だけれど「真っ暗なトンネル」の中で、歩くどころかうずくまって動けなくなっていた私が抜け出せたきっかけ、それはたったひとつのおやじギャグだった。
キラキラの人生
長く付き合っている彼氏とはうまくいっていた。好きなことを仕事にし、その業界では有名な企業と契約してフリーランスとして活動を続けていた。
趣味の芝居では、定期的に仲間たちと公演を打つ。ありがたいことにお客様も増えて劇場は少しづつ大きくなっていた。芝居仲間とはプライベートでも仲が良く、時には朝まで熱く語り合う。
どこからどうみても順調満帆、キラキラの人生だ。実際よく「悩みがなくていつも楽しそう。いいよね、うらやましい」「あなたみたいに、すべてが順調な人にはわからないかな」と言われていた。それなのに、私は病んでいる。
なにもかもうまくいっているハズなのに、なぜ私は病んでいるのだ?!
今思えば、休まずにフルスイングを何年も続けていたからなのだろう。 やりたいことや好きなことだって、どこかで休まなければ壊れてしまう。けれども当時はそんなことはわからなかった。
フリーランスと呼ばれる働き方も、自分を追い詰める原因だった。大好きな仕事がいつ終わるかわからない。好きな気持ちが強い分だけ、不安が膨らみ押しつぶされそうになる。
もっとがんばらなきゃ、今のラッキーに感謝して、もっともっと。
原因がわからないという恐怖
【外の自分】と【内の自分】のギャップが、さらに自分を追い詰めていく。そんな状態がどのくらい続いたのか、よく覚えていない。当時のことは笑っちゃうくらい記憶がないのだ。
夜中にあまりの寒さと眩しさで目を覚ましたら、国道の分離帯にしゃがみ込んでいたこともある。どうやって移動したのか、全く記憶がない。
電車に乗るのは3駅が限界。休み休み向かうため、1時間かかる場所へは2時間前には家を出る。それでも間に合わなくて、家を出る時間はどんどん早くなっていく。
誰かに迷惑をかけたら、そこですべてが終わってしまうような気がしていたのだろう。一歩家の外に出ると、普通でいることにすべてのエネルギーを使っていた。
1日がとてつもなく長く、そして同時に短かった。それでも私の人生は外からみるとイケイケのキラキラで、そんな状態が数年は続いていた。
おやじギャグの底力
綱渡りのような毎日の中で、仲間とカラオケに行った時のことだ。その中に、朝から晩までおやじギャグを言い続け滑りまくる男子がいた。
彼のギャグは基本つまらないのだけれど「ダッハッハ」と笑っては、みんなに「つまんねー」と突っ込まれる。彼は365日24時間その調子で、当然だけれど人気者だ。
歌ったり、踊ったり、語ったり、そんな時間の中、めずらしく彼の放ったおやじギャグが面白かった。みんなが笑い転げ、彼はさらにギャグを重ねてくる。
せっかくウケるギャグを言ったのに、自分のつまらないギャグで打ち消していくスタイル。それが面白く、めちゃくちゃ盛り上がった。私も笑った。そして次の瞬間、ものすごく驚いたのだ。
うそ、私、今笑ってる!!
その頃の私は、すべての感情は頭で決めていた。 はい、ここは笑うトコね、今は怒る場面だな、悲しくなるのが正解だな、そんな風に。それなのに、そのおやじギャグは、私をただ笑わせたのだ。
感情を演出する毎日が、数年ぶりにパリンと壊れた。
私、まだ生きていていいんだ。
気づいたら涙が溢れていた。笑いすぎて泣いてるようにみえたのが救いだった。彼はまだウケないギャグを次々に重ねている。誰かが「つまんないギャグいうから、泣いちゃったじゃん」と、笑いながら涙を流す私をネタにする。
この日、私は数年振りに息を吹き返した。そこから見る見るうちに回復したというわけではないけれど、時間をかけて少しづつできることが増えていったように記憶している。
「私はまだ笑える」
この事実が大きな自信を与えてくれたのだ。
だから笑顔を届けたい
その後、芝居の脚本を書くようになった時に、一番大切にしたいと考えたのが笑いだった。どんなに重たい話でも悲しい話でも優しい話でも、その道中はたくさん笑ってほしい。ラストシーンは爆笑がいい。その余韻で劇場を後にしてほしいから。笑いは癒しであり、エネルギーだと思うのだ。
今、X(旧Twitter)のイラストアカウントでは、元気がでるメッセージをクスリと笑えるようなイラストと共に投稿している。できることなら、だれかの一瞬を笑顔にしたいなと思いながら。
20年以上前の出来事だけれど、あの日のおやじギャグの力を私は今でも信じている。
大丈夫、笑って。
あなたは、まだ笑えるよ!
おまけ
親父ギャグの彼は、私がそんな風に救われたことは知りません。久しぶりに話すとやっぱりつまらないギャグしか言わないし、困ったものです。こんな風に、私たちは繋がっているんだなぁ。
今回、書いた出来事を思い出すきっかけになったnoteです。よかったらこちらもどうぞ。
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