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2002年2月2日の私へ。がんばったねって言ってあげたい。

中学受験にまつわる思い出。書きたいことがたくさんあって、前回から時間があいてしまいましたが、こちらの続きです。特になにというドラマもないし、教訓もないし、何もないですけど、残しておきたいことを書きます。

小学6年生のゴールデンウィーク、塾全体での勉強合宿がありました。学力別にクラス分けされるのですが、私は一番上のクラスに入れるには入れた。

算数の時間、小テストが配られました。私はなぜか、本当になぜか、ただぼーっとしてたんだろう、配られたテストを裏返しではなく、表にして、開始と言われる前にぼーっと眺めていた。

当然、先生に怒鳴られた。その人は私がいたよりもっと大きな教室の、怖い厳しい有能と有名な先生だったらしい。もちろん悪いことしなければ大声出したりしない、要はきちんとした先生でした。

私は、ぼーっとしていたので、いきなり怒鳴られたことでびっくりしてしまい、数日間の合宿を、びくびくしながら過ごした。そのとき前の席に座っていた女の子は、怖い先生の教室の子で、とても優秀で、次の日から、テストを配るとき小声で「まだ裏返しだよ」と言ってくれた。優しい。

なんかもう、それで、いや、私が悪いだけなんだけど、なんか、なんで怒られてまで勉強するんだろう?って、ちょっと弱気になってしまった。今でも、怒られ慣れてない、甘ったれだけど、当時は余計に。そして、たぶんまわりの人の優秀さを肌で感じて、自信がなくなっちゃったのかもしれない。

目をかけてくれていたK先生には、私、そこまで頑張って勉強したいわけじゃないんです、って、話をしたと思う。先生も、ちょっと困っていたというか、嫌になっちゃったか、そっか…みたいな反応だったと思う。よく覚えていない。

私はその後も根性が続かなくて、夏合宿でも、最初は一番上のクラスにいたのに、毎日やるテストの結果で毎日クラス替えがあって、毎日、下のクラスに落ちて行った。希望者は最終日に徹夜勉強をしていたけど、私は母が先生に直接連絡をして、そういうのはやらせないでください、と言っていたから、徹夜はしなかった。

それで自分を情けなくも思ったし、でも、徹夜って…なんのために?とも思っていた。親を言い訳にして、私は甘えて甘えて生きてきた。

夏休みは毎日のように塾があったんじゃないかな。学校の友達に、「私と勉強どっちが大事なの?」なんて言われた。恋愛ドラマみたいだよね。その子とは夏休みの自由研究を一緒にやっていたのに、私は彼女に任せっきりで、ずいぶんひどいことをした。

秋には、第一志望校の文化祭に行った。前に学校見学に行ったときより、少し、浮ついているというか。文化祭だから当たり前なんだけど、ちょっと、自分には華やかすぎるような、社交的な空気があって、言葉にならない違和感、不安みたいなものを、抱いた。そのときもらった手作りの、星形の石鹸を、ずっと持っていた。

私は受験勉強に時間を割きながらも、テレビ見たり漫画読んだりは普通にしてた。居間で寝っころがってりぼんを読んでいると、母はよく「そんなにがんばらなくていいのよ」と言ってきて、私は少しいらついて、もどかしい気持ちになった。

冬休みは、合宿はない。もう受験直前なので、体調を整えて、過去問を解いて対策をする、くらい。私は、これまたいくつかの教室でやる合同お正月集中クラスみたいなのに通いながら、K先生に指定されて第一志望校の過去問を、たぶん10年分解いた。12月28日くらいから1月4日くらいまでだったと思う。

そして、試験が近づいて不安になったのか、勉強にほとんど口を出さない、どころかいつも「そんなに頑張らなくていいのよ」と言っていた親が、問題集を買ってきたりしたので、それも解いた。

オーバーワークだった。そもそもK先生は、私が正月クラスに出てることを知らなかったらしい。これもまたびっくり。もともと、塾には平日3日かな、17時から22時くらいまでと、土日は10時から18時とかかな、覚えてないけど、通っていたけど、それより圧倒的に勉強した。

今思えばわかる、むしろ当時もわかっていたと思う。少し焦っていた。何をやればいいのか、わからなくて。第一志望校は、ずっと合格安全圏にあった。それでも、万全を期さなければならない、と。言われても、どうしたらいいのかわからなかった。

自分がどこか不安を抱えていることを、あまり意識せぬまま、正面から、向き合えないまま、いわゆるすべり止めを2校受け、合格し、第一志望校受験の日を迎えた。

都内の学校なので、母と学校近くのホテルに泊まりました。難関クラスで唯一の女の子のクラスメートも、他の御三家を受けるのに、お母さんと都内に出ていた。前日の夜、一緒にご飯したり、したのかもしれない。彼女は、自分も受験の前日なのに、手作りのお守りをくれた。あなたは絶対受かるから、と。

彼女が、第一志望校の、合格判定で、思わしい結果が出ていないのは知っていた。私が、合格安全圏と言われていたことを、彼女も知っている。それでも、あなたは大丈夫だよと言ってくれた。私が、逆の立場だったら、そんなことできなかったと思う。その状況でも、なんて言ったらいいのかはわからなかった。

試験当日。国語のテストかな…全然わかんなかった。今でも、そのとき、頭が真っ白になったのを覚えてる。もう、何が書いてあるのか、わかんなかった。今でいうと、英語の新聞読まされてるみたいな感覚。文字を追いながら音読できるし、単語の意味だってもちろんわかる、でも文章として、まったく頭に入ってこなくて。「このときの心情を答えよ」と言われても、何の話をしているのかわからなかった。

試験は1日で、学科と、ちょっとした身体測定と、面接があった。学科のあと、身体測定や面接を待つ間、各教室に2人くらい在校生が来て、おしゃべりをしてくれることになっていた。

スカートの短い、おしゃれな雰囲気の在校生が、みんなはどんな芸能人が好きなの?ドラマなに見てる?みたいなことを言った。たしか「やまとなでしこ」が流行っていた頃で、松嶋菜々子と、誰かが言った。別の子が、それだれ?と言った。勉強してるので、テレビなんて見てないです、と。私は、こういう子が受かるのかなとぼんやり思った。

身体測定と、面接でも、ぼーっとしていた。言葉にならない、言語化できない不安みたいなものに、支配されていて。受験番号が前の子とは仲良くなった。まったく覚えてないけど、おしゃべりをしていたはずだ。

面接のとき、ボランティア活動はしていますか?みたいなことを聞かれた。町内会のゴミ拾いの話とかをしたと思う。面接官に「これからも続けてくださいね」とかなんとか言われたんだけど、私はなぜかその時、あ、落ちたんだ、って思った。

なんでだろう。言い回しで、あ、私はこの先生たちにとってよそ者なんだな、と思ったんだよね。受験番号が遅かったので、面接も遅くて、もう採点は終わっているんだろう、という時間だったこともある。

その日の夜は、またホテルに泊まった。ひょっとしたら、姉も加わってご飯を食べたかも。みんな、私が受かると思っていた。私は、試験の手ごたえがどうだったのか、言えなかった。

2月2日。朝、学校に貼り出されている合格者の受験番号のなかに、私の数字はなかった。仲良くなった子は、受かっていた。だけどそこに来ていたのはほとんどがスーツ姿のサラリーマンで、受験生の子供本人は、あまり見に来ていなかった。

都内に住んでいるから、わざわざ見に来ない。お父さんが、確認する。私にとっては、受験のためにわざわざ2泊もして、人生で一番緊張した瞬間だった。空がきれいだった。よく晴れて、空気が冷たくて、朝日がきらきらしていた。私のなかには、明るいものなんて何もなかったのに。

ホテルに戻って、お母さんに背を向けてベッドに横になって、少し泣いた。お母さんに、ごめんねと言うことも、ショックだとか悔しいとか悲しいとか、言うこともできなかった。

そのまま、都内に住んでいる叔母と3人でお茶をした。叔母が、ハリーポッターの本を買ってくれた。

みんな、慰めの言葉は掛けなかった。何も言わないでいてくれた。

私は「すべり止め」だった学校に進学することを決め、塾ではそのまま「中学進学準備講座」みたいなクラスが始まった。

私を「勉強はできるが人間としてダメ」と言った学校の先生に、突然呼び出された。怒られる心当たりがなかったから、びっくりした。個室に呼び出されて、なぜか「受験よくがんばったな!」と握手を求められた。

確かに、受験のために何日かは学校を休んだ。でもそれ以外、ちょっとした手続き以外、あなたにはお世話になってないのに、あなたに褒められても、嬉しくないし、私ががんばったことで、あなたに喜ばれたくない。そんな気持ちしかなかった。

塾で、5年生まで通っていたほうの教室の先生には「残念だったね」という話をされた。「期待してたんだけどな」と。私の心は、ひどく落ち着いていて、その言葉で、救われた。期待を、してもらえていたのだと。私は自分の好きなことをやりたかっただけだけど、途中で、どうしたらいいのかわからなくなって、わからなくなっていることをわからぬまま、目指したものをつかめなかったけど、だけど、それをずっと見ていてくれた大人が、私にならできるって、思ってくれてたんだなって。

K先生には、東大を目指せ、と言われた。自分は東大出身で、東大に入らなくてもいいから、東大に入れるだけの力をつけたら、なんでも選べるようになるから、と。そして「ロウソクの科学」という本をもらった。実のところ、この本を読んで、何を学ぶべきだったのか、いまだにわかっていない。先生は、ずっと、申し訳なさそうな顔をしていた。私のほうが申し訳なかった。

これで、私の、2月2日のお話は終わり。山なし落ちなし。自己分析するでもないし、下手にまとめようとしても、なんか違う気がするので、終わり。

ただ一つだけ、あるとすれば。フィギュアスケーターの浅田真央さん。彼女について、伊藤みどりさんだったと思う、言った言葉が、ずっと心に残っていて。「天才型と言われるけど、才能だけじゃできない。天才が、毎日毎日欠かさず努力を続けてきたから、今の彼女がいる」。

終わりと思ったけど後日談。

ハリーポッターにはそのままハマって、毎日読んでた。4作目くらいまでは買ったと思う。その後、シリーズ完結まで読むどころか、読み返すこともなかったけど、思い出のある本だから捨てられなくて。叔母の孫、つまり私のいとこの子供が中学生になったときに、ハリーポッター読みたい!って言い出したらしくて、あげた。叔母さんは、そもそも叔母さんが私に買ってくれたものだってことを忘れてた。

K先生とは、その後、母が駅で偶然再会した。私はもう社会人で、東大ではないけれど、第一希望の大学に入ることができて、出版社で働いていると、話したらしい。先生は、何年も塾講師をしていて、あの偏差値で第一志望校に不合格だった生徒は、私以外に他にいなくて、ずっと申し訳ないと思っていた、と。今どうしているのか気になっていた、と。言っていたらしい。私は、それを聞いて、すごくあたたかい気持ちになった。

受験がひと段落したあと、親から、それまでかかった塾の授業料の領収証を渡されて。あなたの受験にはこれよりもっとお金がかかっているからね、と言われた。そういえば、いまだに素直に感謝はできていないな…。

一度だけ、母が「あなたは中学受験のときに失敗したから…あ、それはそれでいいんだけど」というようなことを、言ったことがある。特段ショックなことではなかった。私にとっては失敗ではないから。

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