個展のお知らせ
このたび、初めて本格的な個展をすることになりました。
切り絵や型染めなど、どちらかというと工芸的な手法を使ってのインスタレーションに挑戦します!
興味のあるかたはぜひお越しください!
自分自身は小さいころから絵をかいたり、工作することが好きで、
美術館やギャラリーに行くのは楽しみのひとつです。
でも、最近疑問に思うのです。
そもそもアートを見に行く行為ってなんだろうと。
こんなに人を楽しませるコンテンツにあふれている現代で、美術館やギャラリーに足を運ぶ人たちは、どうしてそれを選択するんだろうって。
それも分からずに、「作品展するから来てね!」って言うのは、結局自分の自己顕示欲や、自己満足を満たしたいだけなんじゃないだろうか。
私は見る人に何を提供できるのだろうか。
そんなことを考えながら今回の作品を作りました。また、今回の展示を通じて、来られた方と一緒に考えていけたらいいと思っています。
そもそも美術品の多くは、古代から権力者などの発注によってつくられてきました。よく言われるように、ダヴィンチにしろ北斎にしろ、発注元があって、それに応えて作品を作っていたわけです。
それらを飾って、一般のひとが眺めにくる、「美術館」という形式が生まれた。そして今や、誰も作ってと頼んでいないのに自発的に作られた作品が大量に並ぶ時代になっている(私の作品のように)。
これには、一定の「こう見て下さい」というルールのようなものを説明する必要があるのではないでしょうか?
昔の作品には一定の「美意識」があり、それぞれの形式において「いいもの」とされるものがありました。20世紀、キュビズムやら抽象やらコンセプチュアルアートやらが出てくると、正直「美意識」の基準がわからなくなってしまった。
「現代アートはなんでもあり」になることはいいことなのか?悪いことなのか?基準を決めるのは誰だろう?西洋中心のアート業界人?誰が評価するのが正当なのか?肥大化するアートマネーが結果なのか?
日本では、「好きなように感じたらいいのです」と見る人に丸投げしていないか?見る人は分かんないから分かりやすい具象絵画だけが好まれていないか?鑑賞のしかたを学ぶ機会はあるのか?美術作品を見ることの価値を、興味のない人に説明できるのか?
疑問がいっぱい、自問自答を繰り返し、答えを探して本を読む。
私の理想はなんだろう。
アート作品は作るのも見るのも楽しいし、美術館やギャラリーに人が集って、活気のある場所であってほしい。
現代アートは個々の意思や哲学を表現するものであってほしいし、「美」を媒介にして、国家や地域を超えた共通理解や共感を呼び起こすものであってほしい。
先日、大阪で行われたアートイベント”4 DOOMS ART "に行きましたが、たくさんの作品と老若男女のお客さんや作家さん、ギャラリー関係者などでにぎわい、活気がありました。ドリンク片手に回れるアートイベントも初めてで、どの作品もパワーがあり、とても楽しかったです。
「写真撮影禁止、作品保護のため照明は暗く、ガラスにふれてもいけません!」というような美術館の名画展は、それはそれとして。今を生きる私たちのためのアートを考えていきたいです。
今回の個展会場は大阪のstudio sizmaさん。オーナーの北野雪経さんは自身も作家であり、空間演出をされていて、北野さんの手によって展示をしていただきます。
スタート時点から打ち合わせを重ね、イメージの共有をしてきました。
美しくて、見た人に強い印象を与えることのできる空間をめざします。
そしてただ私の作品を見るだけでなく、来てくださった方もアクティブな表現者として時間がすごせるような、そんな展示にしたいと思っています。
Sachiko Tanouchi 個展
「未分化の記憶」
日時: 2024.6.28(Fri)〜7.7(Sun)
(会期中無休)
時間: 13:00〜19:00
入場料: 500円
会場: studio sizma
537-0022 大阪市東成区中本5-27-15 なんでもやビル3F
在廊予定: 6/28,29,30 7/3,6,7
(変更になる場合がございます。時間等はsachikotanouchiのInstagramまたはXでお知らせいたします)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?