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エジソンも認めた日本の発明家・偉大な起業家御木本幸吉-誰もが成し遂げられなかった真珠養殖のパイオニアの軌跡

ミキモト・パール、真珠王御木本 幸吉氏について学びたくて三重県鳥羽市の真珠島に行ってきました!

文化、歴史、ビジネス、日本の未来について・・・色んなことを学べた1日をブログにまとめました。


Pearl King(真珠王)と呼ばれたMIKIMOTO 創業者 御木本幸吉とは

真珠に生涯を捧げ、Pearl King(真珠王)と呼ばれたMIKIMOTO 創業者 御木本幸吉。誰も実現することができなかった真珠の養殖を1893年に世界で初めて成功させ、歴史へその名を刻みました。「世界中の女性を真珠で飾りたい」幸吉が抱いたこの夢を一世紀以上も受け継ぐことで、MIKIMOTOはハイジュエラーとして認められたのです。

https://www.mikimoto.com/jp_jp/brand-story
Pearl King(真珠王)銅像

ハイジュエラーとして多くの方を虜にするMIKIMOTOの歴史、ご存じですか?

誰も実現することができなかった真珠の養殖を1893年に世界で初めて成功させ、歴史へその名を刻みました。

参照:https://www.mikimoto.com/jp_jp/brand-story


エジソンや渋沢栄一と交流されたり
戦後真珠産業で国を支えたり
故郷の観光業を盛り上げようと
様々な整備をされるなど御木本氏の
素晴らしい功績を学んできました。

13才で事業を手伝いながら複業し
当時唯一、一芸披露で外国船の商人として認められたり
20歳で東京横浜を巡り真珠の価値に出会い養殖研究をはじめました。

早くから外交の重要性にも気付き
生涯外交と文化繁栄にも尽くされました

困難を要した真珠ビジネス
20歳のときに全貯金注ぎ込んで東京横浜旅行へ。そこで事業ネタを見つける。
どうやったら選ばれるのか?工夫がすごい!

若い時から御木本さんの商人力が
機会と縁をつくり成功に
繋がっていったのだと感じました。

御木本氏の先見性とビジネス&エンジニアリングの手腕

国産パールを世界的なビジネスにするために芸術品や装飾品を制作し世界中の名だたる展示会へ出展していかれた歴史にも、御木本氏の世界を視野にいれたグローバルなビジネスセンスを感じました。

公式HPより

御木本幸吉氏は、世界で誰もが成し遂げられなかった真珠養殖のパイオニアとして知られ、その技術革新と品質へのこだわりが世界中で評価されました。

発明王エジソンも感嘆。「真珠を発明されたことは、世界の驚異です」


1927年、欧米へ視察に行った際、エジソンは御木本氏にこう言ったのです。

「これは養殖ではなく真の真珠です。私の研究所でできなかったものが二つある。一つはダイアモンド、いま一つは真珠です。あなたが動物学上からは不可能とされていた真珠を発明完成されたことは、世界の驚異です」

エジソンが御木本氏におくった言葉

発明に対する真の理解者の言葉に、御木本氏は大いに励まされたそうです。

自然が生み出した大結晶

「人生において重要なのは、
知恵と幸運であり、
それが成功をもたらします。

さらに長寿を得られれば、
真の成功を手にすることができます。」

彼の言葉は、彼の哲学とビジョンを反映していますね!


世界に日本の真珠をPRするため

世界との友好関係構築のために

力を注がれたことにも感動しました。


御木本氏が残した言葉
御木本氏が残した言葉②

鳥羽・志摩の旅から学んだこと

世界で勝負できる人の器の大きさ、考えに触れることができたことがこの旅の一番の収穫でした。

また、鳥羽市・志摩市は漁業が盛んな地域で、豊富な海の幸に恵まれています。鳥羽・志摩の漁業を語る上で欠かせないのが「海女さん」。

海女さんショーも見れたのが面白かったです。

なぜ古くから海女文化が続いてきたのか、そしてこれからの海と海女をどう守っていくのかについても考えさせられました。

これからも偉大なリーダーたちの生き方を辿る旅に出かけていきたいと思います。


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