見出し画像

メタバースで完結はしない


メタバースの学校、ニンジャ寺子屋をつくっています。 ”みんなでつくる、みんなの学校”であり、 授業から行事まで大人も子どもも関係なくつくっています。 学びたいことを学ぼう 教えたいことを教えよう 好きは学びの出発点です。子どもたちの”やってみたい”を 応援したい学校です。

コロナで人と人が距離を置くことも、
大きな声を出して歓声をあげることも
禁止されました。

でも、祭りの威勢のいい掛け声、あの地響きでもなるかのような
臨場感に心を揺さぶられませんか?
スポーツ観戦の、大して興味もなかったチームの
はずなのに、
応援の掛け声に一緒になっていつしか応援してしまう
あの楽しさ
花火大会で花火も見事なんだけど、
混んでる会場にわざわざ足を運んで見に行くと、
会場の空気が一気に期待に変わり、
そして感動を共にする時間は
なんかいい。

今日は、そんな肌と肌を合わせる時間の話をします。

オンライン会議で足りないもの


オンラインでも目的は十分果たせます。
だから、オンラインの方がいいなと私も感じています。

しかし、オンラインでしか会ったことのない人に
会いたい!!という感情が強くなるのが不思議です。
オンラインでも盛り上がるし、
感情の共有はできるんです。

それでもオンラインになくて、
リアルにある
あの空気感の共有は何なのか?

面会がZOOM

子どもが入院した時に、
面会がZOOMになりました。

子どもの姿は画面越しに見えても
母としての寂しさ、不安、やるせなさ
は何も解消できなくて、落ち込むところまで落ち込みました。

子どもの姿は見えて、他愛のないおしゃべりができても
いつもの子どもを抱っこするときの柔らかい感触が、
子どもっぽいにおいが、
耳に感じる声が、
くるくる動き回る子どもの姿が
感じられない。

これは五感で感じる子どもの姿なのでしょうか。
ZOOMでは、感触がどこにもないのです。

メタバースの学校

メタバースは
誰もがアクセスできて、
少しの時間と技術があれば自分の居場所を
つくることができます。

可能性は無限大です。

メタバースはどんどん進化しています。
寺子屋生(メタバースの学校)の本気の発表に
何度も心を揺さぶられました。
画面の向こうには”人”がいて
共に感動してしまう空間があります。

メタバースに触れてきて、
感動もできるし、仲間も作れることを知りました。
焚き火とか、海とか、砂漠とか
リアルに似た充実感があります。

メタバースで世界は完結しない

メタバースの学校を作っていますが、
手段の一つです。
あくまでも、みんなと楽しく学ぶ場所を
つくるためのツールです。

メタバースが進化して、
人の五感に訴える、感触を感じられる
ものになっていくでしょう。

それでも、近づくだけで本物ではないのです。

だからこそ、
五感を感じられるその人や
場所に会いたくなるのかもしれません。

オンラインでみえた、
肌と肌が触れ合うこと(本当に触れ合うとかでなくても)
の良さです。

時には地響きのようなライブの”うぉ〜〜〜”とか
威勢のいいお祭りやお囃子の音に
触れたくなるのかもしれません。
それも肌が感じる、地響き、お囃子なのかもしれません。


私たちのコミュニティの大元である、
CryptoNinjaで大規模なリアルイベントが開催されます。
もうある程度、
互いのパーソナリティを共有しあっているので、
知るための距離感は存在しなくて、
自己紹介もいらないんです。

いつも大事なことは共有しあっているので
きっと雑談をしに行くのだと思います。
いつもはコメントのやりとりには出さない
空白の部分の共有かもしれません。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?