見出し画像

それぞれの思い。まずは「個」としての心。

なかなか、買った本を読む時間もなく時が過ぎていきます。

どこかで、ゆっくりコーヒーをお替りしながら本が読みたいなぁ

そう思いつつ、日々あっという間に過ぎる時間を過ごす中、本当に本が読めない。

その代わりに、この夏前位から、コロナの影響でオンラインで最近知り合った人であり、以前からの仲間であり、沢山の方と話したり、SNSで交流を持つようになり、目で見て何か変化して居る様には皆さんにも自分にも映らないけれど、私自身、ジワジワとした変化を感じています。

その背景として。私には、絶大に信頼する人が何人か、いや、何人も居て、、、。その中でも、その人の発信力が強ければ強いほど、何となくその人とだけ距離が近いような錯覚に陥る事もあるのですが、実は、自分の身近で、ずーっとずーっと前から知っている説明するのに3日3晩必要な関係なんて言う人や、近くに居てくれてくれる人に安心して近い距離に居る事がなんて幸せな事なのかと気が付いたりしています。 

この地域で暮らしてきた中で知り合った人は、既存の地域のコミュニティの中だけではなく、それこそ、町の中から始まり、職場、子供を通じて知り合った人、趣味で繋がった人、勉強をする中で知り合った人、知り合いの知り合いだったのにそちらの方が親しくなった人、何十年もの間に子が育ち、親よりもその方の子と親しくなったり、本当に色々な人の中で自分が生きている事を知ります。

さて、自分の日々の目の前の困りごとの解決などについての話になりますが、解決しようと相談する先の「専門職」との話も多くなります。専門職だから、何か特別に出来る事。勿論「知識」だったり「技術」だったり、色々持ち合わせているから専門職、なのだけれど、専門職だって一人の人間として、生きている中で仕事をしているわけで、初めてあった人の困りごとを解決するスーパーマンの様にはいかないのです。だって、私も専門職の端くれですが、前記の様な今まで培われてきた人とのつながりの中の困りごとで有れば、あの人に相談しようとか、そう言えばあの人はこんなことが好きだ嫌いだ得意だ何だって解る。けれど、初めて会った、または、ここ数日、数週間、数か月、数年の間に少ししかあっていない人の困りごとの相談に対しては、どう向き合うか悩むし考えちゃう。仕事で相談に乗る人も同じく。

私達は、同じ地域の中の専門職とチームとなって誰かの困りごとについて一緒に悩んでいく事が多い。そこでの話し合いの中でもコミュニケーションの取り方を失敗すると、本当に必要な論点に到達する前に崩壊する事も有ったり、無かったり・・・。でも、そこで、焦らない。専門職であるその人の「個」は、どんななのか?知る必要があると思っているからなので・・・。

あ、勿論「専門職」で有る以前に「個」とは言わない。それは、何か、違いますが、その人の「個」って言うのは、有ると思うので、そこと本気で近づく勇気を持ちたいと・・・なかなか、持てないのが事実で、それが課題でもあるのですが。。。

あ、勿論「焦らない」にも種類が。困っている人を目の前にしたら、何ををさておいても、助けたいのが私の良いところでも悪いところでも有るので、知ってしまえば突進して、成功も失敗も沢山ありつつ全力。。。でも、そんな中でも、困っている当の本人や家族が本当に助けてもらいたいと思っていればもっと近くなるに違いないし、本当はそう思っていなければ距離は近くならず、埋まらない。。。ので、突進できない事も有ります。

あ、また、何が言いたいのか良く解らない様な文章になりましたが、私には良く解ります((笑))

とにもかくにも、なんだか 人と近いって幸せでもあり、でも、一人でゆっくり、非日常を感じながらコーヒーを飲みながら「積んでる」本を読み、文章の書き方も、感情の表現も豊かになりたいなぁと感じている 秋深し。私の思い。「個」の心。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?