自分に見えているものと、感じているもの

最近のヒーリングセッションや、神様や自然霊が見えるという方々とのやり取りのなかで、少しはっきりしてきたことがあります。

わたしは、物質では見えない何かを見る時、既存のイメージがあれば、それが出てくる時もあるし、はっきりと、見たことのないイメージが出てくる時もありますが、そうでない場合は、光で見ることが多いな、と思いました。
または、目の前に何かがあったら、そのものや人を「感じている」ことの方が多いです。

例えば、私はずっと天之御中主神が大好きで、きっかけは、光一元というメッセージが好きだったのかな? そして、「天之御中主神」という字とか、なんかわからないけど、好き。そして、私がつながると、光の玉で出てくる。

他には、ある木を目の前にした時に、感じる「それ」は、私とその木との化学反応なんだと思う。そして、理由もなく「好き」と感じてそこにしばらくいる。

もっと簡単にお話しできるといいな、とも思う。でも、その感覚の価値が、それ以下ってことはない。十分にエネルギー交換をしている。そう感じる。

お話ができることもあるし、はっきりすぎるメッセージを受け取ることもある。でも、聞こうとしても聞こえなかったり、見ようとしても途中までしか見えないとか、ある。でも、聞くことや、見ることに固執しなくても、感じるだけで十分なのかもしれない。

そんなこんなで、自分が見えていないものを、見える方が描いてくれた絵を介して、そのエネルギーに出会えるのは、世界が広がるので、すごくありがたいです。


今日、ロンドンの地下鉄に乗っていて思ったこと。
個人的には、大衆的にイケメンや美女と言われる人間に一瞬でも心を奪われるかといったら、やっぱりないのですが、イケメンや美女やおっぱい(笑)に心を奪われている人を見ることはたくさんあります。そういう時はその人たちの心の声がうるさいくらいにそれを追いかけてる。私からすると、ちょっと不思議な現象ですね。例えば、存在がすごく可愛い人とか、エネルギーが魅力的な人とか、他にもすごくたくさんいるのに。・・・人間は面白い、と思ってみています。

だからこそ、日本神道の神様の存在って、エネルギーが凛としていて、かっこいいから心奪われる。天使さんとかは、いつも優しい。無条件に優しいから好き。
天照大神は、お天道様として、いつもいてくれるし、神棚にもいたし、小さい時から神様といえば、天照大神というくらいに家庭に浸透している。

地球には、愛でるものがたくさんあって、たくさんの可愛らしい、美しい、清々しい、色とりどりの山や川、植物や生き物がたくさんいる。抜けるような青空にぽっかり浮かぶ雲、明るい空に浮かぶ月、そしてようやく来た春の風、すこしだけ咲き始めたバラの香り。そして、面白い人間たち。

今日も1日、この美しい星で過ごせることに感謝したします。

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