マガジンのカバー画像

日刊さっちん(ゆるめ)

162
さっちんこと入谷佐知が毎日のちょっとしたことや頭の中身を書いていくだけのマガジンです。ゆるめです。
運営しているクリエイター

#マネジメント

差分をつくるひと、差分をなくすひと

仕事において、差分をつくる人が好きだし、差分をなくす人が好きだなーとしみじみ思う。 差分というのは、「違い」のこと。 (差分をつくるひとは、かっこいい言葉で言うと、チェンジメーカーというのかもしれない。かっこよすぎてボツだな…) どういう差分を生みだせるのか?差分をつくるひとは、自分のコミットによりその社会や組織にちがいを生み出すひと。昔、人事面接をする仕事をしたときに「採用面接官は応募者がどういう差分をうちの会社に生みだせるかを聞くんだよ」と口酸っぱく言われていた。当

恐れによって組織を動かさないということと、自由からくる恐れ

「恐れ」がなくなったら、人はこれほどいきいきと働けるんだ。 先日、それを目の当たりにしたことがあった。ある友人ふたりからそれぞれに話を聞いて、彼らの笑顔を眼の前にして実感した。ふたりは前職でそれぞれ別の恐れを持っていた。 ひとりの友人の「恐れ」は、社内の特定の人からの評価だった。「あの人に嫌われたくなくて。あの人に嫌われたら、ここではヤバイってずっと思ってたなあ。査定する人でもあったし」と笑った。そして、「パワハラにもセクハラにも相当しないけれど、たまに出てくる決めつけ表

「無条件の承認による安心安全の場をつくる」と、「とはいえ仕事を成し遂げるプロフェッショナルとして働く」を両立することは、わたしのこの数年のテーマだったのですが、今年その試行錯誤が一区切りついたなという感覚です。来年はこの知見をもっとシェアして次にバトンタッチしたいな。

公式発表ってだいじなんだな

はじめて研修というものをやった。 ただしくは、自分の広報部門のインターン生にはしてきたけど、現場の部門含めたスタッフに研修をするのは初めてだった。 わたしは話してみて、いち意見でなく公式発表するというのは、だいじなことなんだなと気づいた。 「実は組織において、帰り道や食事時や給湯室で話される社員の提案や違和感や愚痴は、その9割が新規性はなく、すでにトップマネジメントの思考のなかに入っている。過去に議論したことがあったり、過去に結論づけられたことがあるものなんだよ」と、あ

先陣切って間違いと弱さを認めること

わたしは昔、大きな嘘と虚勢心で大事な人を傷つけたことがある。その人との関係はいつか修復するかもしれないし、やはり修復しないかもしれない。いずれにせよその人を怒りに震わせた事実は変わらない。嘘と虚勢がばれてから、わたしは必死で作り上げた鎧が解かれたような思いでいた。 あの時は、鎧が解かれてしまって恥ずかしかったし、情けなかった。なにより傷つけてしまったことへの後悔が強かった。でも今から思うと、23歳のあの時に裸になれてよかった。あの時からわたしは虚勢を張るのをやめて、周囲を自

矢面に立つ

仕事の範囲が増えて、見える景色が広がるということは、同時に「見る」だけではとどまらず、矢面に立つということでもある。そこまで見えているからこそ、やる・やらないの責任が自分にある。 「なんでこうなってるんだろう」と疑問を呈したり、「こうしたらいいのにな」という提案をするのは組織にとって価値だ。価値なんだけど、見える景色が広がるとそれだけではすまなくなり、「なぜやらないのか」「なぜこうしないのか」という疑問をぶつけられる側に立つ。それは他者からぶつけられるということもあるけれど

プロフェッショナリズムと寛容性の同居を支える、コミュニケーションの頻度と質

「プロフェッショナリズムと寛容性は同居できるのかな?」というのが、ずーっと、ここ数年のマネジャーとしてのわたしの疑問でした。 プロフェッショナルに寄りすぎて人間っぽさや間違いを許容できなかったり、寛容に寄りすぎて最高の仕事ができなかったりお金の出し手に優しくなかったり、ということがある。最上級の仕事をしつつ、人として仕事をしていくからこその優しさを同居させるにはどうしたらいいのか? 前にもブログで話題にしてきたのですが この記事には ①安心安全の関係性を構築する【こたつ