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リリーとピアノの話

私の住んでいるアパートには、80〜90歳くらいのロシア人の夫婦がいます。そのおばあちゃんの名前はリリーです。

これは、リリーから聞いたお話です。リリーには子どもが2人います。今はもちろん成人ですが、彼らが子どもだったときのことです。

リリーたちは子どものためにピアノを買って、レッスンにもだいぶお金をかけたと言っていました。上の子はすぐ辞めてしまったので、下の子には何とか続けて欲しかったので、しっかりとしたレッスンに通わせたそうです。

ある日、リリーは月謝を払うときに先生と話していたら、自分の子どもが1ヶ月の間、1度も出席していなかったことを知りました。その子はあたかもレッスンに行くかのようにカバンを持って「行ってきます。」と家を出て行き、どこかで時間を潰してから、タイミングを見計らって家に帰ってきていたのです。

そして、高い金額で買ったピアノは役目を果たすことなく家に置かれたままになり、そのピアノを見るたびに、リリーは今回の教訓を思い出していたそうです。

子どもがやりたくないことを無理に押し付けた結果がこれだということを自分に戒めるためにもピアノを置いておいたと言っていました。

この話をするきっかけは、私たちの部屋からピアノの音がよく聞こえてくるので、どうやって子どもたちに練習するようにしつけているのかをリリーに聞かれたことが始まりでした。

私の子どもたちは私に言われなくてもほぼ毎日ピアノを弾いています。興味があり、ピアノが好きなんですね。とはいえ、一般的な進み具合とは少し異なり、独特のフリースタイルではあります。

親が強く押し付けるほど、子どもは別の方向へ行き、思っていたのとは違う結末になることが多いです。それは、誰もが知っていますよね。

大人だって誰かに押し付けられたことで、自分はやりたくないことであれば、それは長続きしないし、上達もしないでしょう。

ついつい私もその事実を忘れてしまうので、ふとリリーの話を思い出すようにしています。

その結果、今の子どもたちの習いごとはゼロです。

以前は空手、バレーボール、テニス、ピアノ、アートクラスや科学実験クラスなどで、月〜金曜日までほぼ毎日が習いごとで埋まっているようなときもありました。

そして、それらの習いごとで際立った成果は、残念ながら、ピアノ以外はとくになしです。
そのときの私の送り迎えのエネルギー・お金・時間の消費で終わったように思います。

私たちの場合、習いごとの目的は、その道のプロになってほしいのではなく、「継続することで力になる」ことを体感してもらうところにあると考えます。

究極を言えば「継続することで力になる」体験をするためのツールとしては、別に習いごとでなくてもいいのです。

そう思うと、親目線からの習いごとへの執着というか、優先レベルも変わってきますよね。

そもそも習いごとのほとんどは、大人になってからはほぼ使わないスキルですしね。(本人の興味があるなら話は変わってきますが!)

我が家では、ピアノだけは

  • 両方の手先を動かすこと

  • 耳を使うこと

  • 楽譜を読むこと

を同時にするため、脳の発達段階にある子どもには最適な科目(ホームスクールの科目として)と考えていたのと、何よりも子どもたちが好きなので継続しています。

そしてそして習いごとの嵐がなくなり、一番ホッとしたのは私だったりします。

Image by freepik

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