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売れる記事を書こうとするほど、書く気が失せる人がいる(ぽい)

読まれるものを書くか
書きたいものを書くか

というのはnoterにとって、永遠なる問いだと思います。たぶん、有料noteを売ってない/売れてない人だけでなく、あえて読まれる記事を書いて売れてる人にとっても。

先日、有料noteが売れている人は、文章力で売れている人と、仕掛けづくりで売れている人がいる(ぽい)、という記事を書きました。そしてどうやら、前者路線で行きたい人が、後者路線で走り始めると、書く気が失せることもあるようです。




読まれるものを書くか、書きたいものを書くか、というのは、ビジネスでいうと、マーケットインか、プロダクトアウトか。前者が売れるものをつくる、後者がつくりたいものをつくる。これはどっちも大切ですが、勝敗をわけることもあります。

つくりたいものをつくる、の代表格がアップルのiPhone。

「持ち歩くのだから充電が持つものでなければならない」というマーケットインでスマホを作っていた日本のメーカーは、「いいものつくってんだから、いいじゃん。充電足りないなら、充電器持ち歩けばいいじゃん」というプロダクトアウトのアップルに負けました。(ものづくりのデザイン思考でよく引き合いに出される事例を、ものすごく雑に説明しています。)



マーケットイン、すなわち仕掛けづくりで売れている人気noterさんで、「本当は書きたい文章を書きたいんだ」といったようなことを吐露されている方がいました。プロダクトアウトへのシフトを望んでいる、ということです。

目的ややりたいことによっては、マーケットインで良いのだろうと思います。文章で勝負するというより、例えば、バックエンドのサービスを売ることが目的であれば、noteは手段に過ぎないからです。そのバックエンドで、本当にやりたいことをやれているのかもしれません。もっとシンプルに、note自体で収益化をすることが、まさにやりたいことなのかもしれません。


でもそれだと萎える人は、根っからの文章の表現者なんだと思います。

昔から、文章を読むのも書くのも大好きで、書きたいことを思い切り書きたくて、それが何よりの楽しみなのだ、という根っからの文章表現者は、仕掛けづくりに特化すると、「自分のやりたいことは本当にこれだった?」という疑問符が自然と出てくるようになっているようです。


私は、子どものころから、ずっと本を読んでいました。本を読みすぎて親に怒られたこともありました。

小学生のとき、読書時間というものがあって、時間内に読んだページ数を申告することになっていました。すると、私の申告数をみた男子生徒が「こんなに読めるわけないじゃん、うそついてんじゃね~よ」と言ってきました。私は「あなたには読めないでしょうね。私は読めますけど」とは一切いわずに、そういう態度で平然としているような子でした。私の本好きは、そんじょそこらのやつとはレベルが違うのだ、ということを当時から知っていました。

書きたいことを書きたい、だからネタなんてあふれてる、ネタがないと悩む人の気持ちがわからない、という人にとっては、仕掛けづくりの路線で書こうとすればするほど、萎えます。書きたくなくなります。だってやりたいことはそれじゃないから。

そちらにいくと、書くネタを自分の内側ではなく、外側から探す必要が出てきます。そして、ネタを授ける記事を読もうとします。でも根っからの文章好きであれば、自分に書く「自由」を与えてあげれば、そんなことをしなくても、ネタは自分の中にたくさんある、そういう特性をもっています。


そしてこれはnoteに限らず、仕事でも同じだと思います。やりたいことを仕事にするのか、稼げる仕事をするのか。


試行錯誤はつづきます。

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