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破天荒な母をもつ娘のMy story ~普通の家に産まれたかった~

シングルマザー支援がしたい!
その想いで何かに繋がればとはじめた食育の学び。

そこからわたしの人生は再スタートしました。


破天荒なシングルマザーに育てられた過去から
現在の活動に繋がる話を
3話に渡って話を綴っていこうと思います。


母はシングルマザー


19歳でわたしを出産し
その後1つ下の弟を出産後、母は離婚しています。


当時では珍しかったシングルマザー。

今ほどこの言葉も当たり前ではなく
父親がいないことに不満はなかったけど
どこか恥ずかしさを感じていました。

お父さんがいないなんて普通じゃない

今ではそんなことも思わないのですが
幼いわたしにはみんなにはいる父がいない
どこか戸惑いもあったんじゃないかなと思います。

友達と父親の話題になると
逃げ出したくて仕方なかった。
お父さんいないって言えない。

また、シングルマザーであると同時に
うちはとても貧乏で
電気、ガス、水道が停まるのなんて日常。

食べるものがない
そんな時もありました。

母は料理もほとんどしないので
手料理を食べた記憶はほとんどありません。

というより記憶を抹消してるのか
思い出したくても断片的にしか
中学生までの記憶が思い出せないんです。


とにかく良い思い出はでてきません。
思いだすのは嫌なことばかり。

わたしたちが何とか生きていられたのは
祖母のおかげです。

一緒に住んでいなかったのですが
定期的に様子を見にきてくれていました。

祖母は口うるさい人だったので
当時はめんどくさいなって思っていたけれど
今では感謝しかないです。



高校入学で世界が変わる


わたしは定時制の高校に入学。

県立高校に落ちたわたしは
私立なんて選択肢はなかったので
定時制に。

この進学もわたしは普通に高校も行けないんだ
ってみじめな気持ちでした。
堂々とどこの高校に行くのか言えない。


でも、そこにはさまざまな事情を抱えた人が
たくさんいましたし年齢もバラバラ。

ここでわたしは“普通”の概念が覆され
いろんな人がいていい
そう思えるようになりました。

普通なんて言葉が存在しない世界。
これまでの学校生活とは逆転したような感じでした。


みんながそれぞれの事情を尊重し
程よい距離感でいられる空間でした。


また、バイトもはじめたことで
金銭的自由も手に入れ
不自由だったわたしから解放。

バイト先の人間関係もとても良く
毎日楽しいでしかなかった♪

こんなにしあわせなことってあるんだなと
噛み締めていました。


弟ができました!



突然送られてきたメール。

わたしは高校卒業してから
母とは一緒にいたくなくて家を出ていました。

同じ市内には住んでいたので
定期的に会ってはいたんです。

それなのにこの衝撃のメール!!


「えっ!?妊娠してたの?」


母は太っているからなのか
妊娠していることに気づかなかったんです。
誰も。
一緒に住んでいた妹でさえ。


ニュースでたまに聞くけれどそんなことある?
って思っていましたが
気づかないなんてあるんです!!

なぜ隠していたのか?
高校生じゃないんだから言ってよ!
反対されると思ったのか?

何歳になっても
母は何も変わらず。

呆れてなにも言えなかったですよ。


とりあえず事実確認にすぐに実家に行きました。
そしたら本当にいた!赤ちゃん!!

衝撃。

心の準備もできないまま
22歳で弟が出来たんです。

突然現れたので正直戸惑いました。
でも弟に罪はないもんね。

「受け入れる」
それしか選択肢はなかったな。


いとこには
「よくかわいがれるね。わたしには無理」
そう言われたけれど

母だから仕方ない。

一般的なお母さんだったら
受け入れられなかったかもしれないな。

でも母だからね。

もう何をされても驚いていられない。

弟には不自由をさせたくない。

わたしの思いは
弟の人生に向いていたの。

だからそこに母は関係ない。


こんな家に産まれてきたこと

弟には幸せだなって感じてほしかった。
わたしのような思いはさせたくない。
そんな気持ちしかなかったんです。



でも、これで終わりではないんです!!

母が起こす事件は!!


この時は本当に恨みました。



つづく。

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