お母さんお父さん、保護者の方へ


 
私の願いは「赤ちゃんとお母さん、その家族がしあわせであってほしい」というものです。
 
そのためには、お母さん(“産みの母”である必要はないと思っています。赤ちゃんの一番近くにいる人の代名詞だと思ってください)の自己肯定感がとても大切だと思っています。
そして、お母さんが満たされて、穏やかでいるためには、その周りの方々が満たされて、穏やかでいないと難しいだろう、と思っています。
つまり、赤ちゃんが安心して、笑顔でいられるためには、赤ちゃんの周りにいる大人やきょうだいが、それぞれにある程度満たされていて、穏やかでいられることが、とても大事だと思うのです。
 
赤ちゃんのしあわせを願って、私はお母さん方やお父さん方、おじいちゃんおばあちゃん方へお話をしています。
そして、その赤ちゃんが無事に大きく育ってくれてたもの、として、そして、これから親になっていくかもしれない人たち、として思春期にお話をしています。
 
思春期へは、「親との関係に苦しむ子が減ってほしい」という思いも込めています。
思春期の子たちへは「親と産まれる場所は選べない。だから今辛くても、それはあなたのせいじゃない。」と伝えますし、
お母さん方には「赤ちゃんは親を選んでくるとも言います。『きっとあなたたちなら、自分のことを大切にしてくれる』って思ったから、あなたたちのところに来たんですよきっと。」とお伝えします。
ええ、矛盾しています。
ですが、その時々、前を向ける言葉や考え方を信じたらいいじゃないか、と思っています。
生きていくために。。。
 
 
さて、お母さんへ。
これは子どもを産んだ女性という意味のお母さんへ。
まずは、妊娠中・お産の時のご自分を褒めてあげてください。
人は少なからず、「こうありたい」「こうあるべき」という思いを抱いて生きていると、私は思っています。
妊娠中にも、いろんな“妊娠中って~~”というイメージがあると思います。
でも、現実には、つわりで歯磨きや洗面すらできず、旦那さんのご飯を作ることや部屋の掃除もできない自分に幻滅し、イライラし、ぶつけるにぶつけられない怒りを抱え、しんどさにイライラし、いつまでこの苦しさが続くの、、、と不安で悲しく、悔しくなり、、、
その間に切迫流産と言われるかもしれない。。
やっと気持ち悪さが落ち着いたと思ったら、切迫早産、長期入院、横になっているだけの時間。。
いざ陣痛がきたと思ったら、痛くて痛くて、怖くて嫌で逃げ出したくて、、、動けと言われても動けなくて、もう嫌だ、「帝王切開にして」と口にした。。。
妊娠中に血圧や血糖が上がって、薬を飲んだり注射したり。これから私や赤ちゃんはどうなってしまうんだろう、、という不安と恐怖。。。
破水が陣痛より先にきて、誘発剤を点滴しましょうと言われた。予定日が過ぎても陣痛が来ないから、陣痛誘発剤を点滴しましょう。子宮口を開かせるために棒や風船を入れましょう。と言われた。人工的に陣痛を起こすことは怖くて、痛くて、嫌で、まるで自分はダメだと言われた気がした。途中で何度も点滴を引っこ抜きたい気持ちになった。
陣痛中の痛みも怖さも苛立ちも、全て「これを超えたら赤ちゃんに会える」と思えるから耐えられるものであって、「もう赤ちゃんの心臓は止まってます」と言われてから迎える陣痛は身体的にも精神的にもとても耐えきれるものなんかじゃない。。。
陣痛中に赤ちゃんがしんどいサインを出したから、緊急帝王切開になった。下から産めなかった。産んであげられなかった。。。
 
全て私の想像です。今まで現場で見てきたお母さんたちの様子を見聞きして想像した気持ちです。
きっともっともっと壮絶な思いをされたことと思います。。。
その全てを「あの時は、あれで精一杯だった。ああなるより仕方かなったんだ」と思ってほしいのです。。。
 
「運命」と言いますか、、、
これはイチ助産師の感覚なのですが、
・妊娠や子育てって、「自分ではどうにもできないこと」を経験するためにあるものでもあるのかな?と思います。それにどう対応するか。
・赤ちゃんは命懸けで私たち(ご家族だけでなく、そのお産に関わる全ての者)にそれぞれ何かしらの学びを授けてくれている。それを受け取るか否か、どう受け取るか。
・赤ちゃんは自分の生まれたい時間、生まれたい方法を決めてきているのではないか。
 
私にとって、妊娠・出産・家族構成の変化などの渦中にいる女性は、人間なんかではどうしようもできないような、大きな流れの中にいるように感じます。その流れに逆らおうとしても、到底叶うはずもなく、もし流れをコントロールできたと思っても、後で別のところにきっちり返ってくる。。。
なので、その大きな流れ(運命)に身を任せる、そしてそれを受け止める“覚悟”みたいなものが必要なのかもしれない、、と思うに至りました。
 
「あの時の私は、あれだけの極限状態に置かれて、あれだけのことをやったんだから、本当にすごいんだよ。あれがあの時の私の精一杯だった。」
まず、そう思ってほしいのです。。。
 
お産後、お母さんたちは「あの時あんなことして(言って)恥ずかしい」「なんであんなこともできなかったんだろう?」など、私から見たらとてもシビアにご自分のことを“評価”されています。
陣痛前後の女性と接すると、「あの女性をここまでにさせるなんて、お産って本当に物凄いことなんだな、、」と思うほど、変わる方が多いです。
そりゃそうでしょう。。。
命懸けで人を一人産むんですから、極限状態になって当たり前、平常心のままいられるはずがない、というのが私の感覚です。
だからどうか、「理想の妊娠・出産じゃなかった」とか「あの時もっとこうできたはずなのに、、」とかは置いておいて、お産の時のご自分を「がんばった」と認めてあげてください。私からのお願いです。
 
お産についていた頃は、「お母さんの分娩時の自己肯定感がその後の子育てに向かう気持ちに影響を与える」という思いで、できる限りお産についたお母さんとはお産の時のことを振り返っていました。前向きに捉えてもらえるように声かけをしながら。
「あの極限状態で私こんなことできたんだ」って思ってもらえたら、その後の育児に対する自信の基盤となるもの、みたいなものに繋がるのではないかと思って。“解決できる”と思えるのではなく、“よく分かんないけど、なんとかできそうな気がする”と思ってもらえると言いますか。。
 
 


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