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創作大賞2024恋愛小説部門応募作「青い海のような、紫陽花畑で」8話


ズアオアトリの鳴き声を聞いたような
気がした。
夢の中で聞いたのだろうか。
そして目を開ける前に、瞼に青い光を感じた。
それは青い海のような、紫陽花畑で
花々の上を光が踊る時の。
そして幼いリズが,無邪気に踊る時の。
あの、濡れた,八重咲のクチナシに
そっと触れた時の、青い、光。


リズ、
君は変わりなく過ごしているだろか。
状況は厳しい。激しさが増している。
ブライアン、テディ、イリスも
変わりなく過ごしているだろうか。

この手紙も、いつ届くだろう。

ただ、思うのは、リズ、
君と会えて良かった。
僕らは兄妹に設定されたけれど、
それを嘆いたけれど、
みんな、家族で、それでいいの
だろうな、と思う。
ただ帰りたいと思う。
帰って、君の顔を見られたら、それでいい。
虫が良すぎるけれど
君の家族、僕たちの両親、すべてが
愛おしい。何も求めず、ただ今は
すべてが愛であるように、
神の加護を。

ジェレマイア

ジェレマイアは馬だけでなく、
兵士たちをも診察するようになっていた。
戦地はそれほど激しくなっていた。

時折、疲れから目が霞むことがあった。
まるで、朝靄のように。
そして、いづれ晴れるだろうと思っていても
なかなか、靄が消えないことがあった。

「パドゥシャ!」

兵士たちの声がした。

「先生、パドゥシャが帰ってきた。
パドゥシャだけが!」

胸騒ぎを抑え、ジェレマイアは
走った。
すると、そこには、
高貴な女神が佇んでいた。
「パドゥシャ‥。」
ジェレマイアが声をかけると、
美しいパドゥシャの瞳が涙で濡れて
いるように見えた。

パドゥシャの蹄は酷く痛み、
両方の蹄から血が流れていた。
ジェレマイアはパドゥシャに声を
かけながら状態を診た。
そしてパドゥシャの手当てをしながら、
ユアンがもう、この世にはいないだろうと
感じた。



パドゥシャの処置を終え、ジェレマイアは
ひと息ついた。
「先生。」
ユアンの部隊の若い兵士がやってきた。
疲れた顔の若い兵士は、それでもしっかりとした
目で、真っ直ぐにジェレマイアを見た。

「パドゥシャの、足ばかり狙って何発も銃弾を撃たれました。パドゥシャは利口だから、避けながら耐えていたけれど、さすがに暴れ出して。
最初から煽るつもりで、執拗にパドゥシャを
狙うやり方に、将校は我慢ならなくて。
パドゥシャから降りて敵に向かって
殺し合いにルールはいらないが、馬は狙うな。
品位は大事だ、と。」

ジェレマイアの鼓動は激しくなった。

「将校は撃たれました。」
その事実に、
ジェレマイアは手の震えを抑えた。
兵士はジェレマイアに差し出した。
それはユアンが嵌めていた指輪だった。
「先生に持っていてほしい、と
将校から遺言がありました。」

ジェレマイアの手のひらにユアンの
指輪があった。
ジェレマイアは両手で指輪を包んだ。
いつか、カタリナに会えたら、きっと
会えるだろう。ユアンの愛を伝える日が
きっと来るだろう,とそう思った。


教会の帰り、ささやかな雨に濡れながら
リズは森を歩いていた。
見上げると、微細な雨粒が落ちてくる。
雨の中を歩くことは、幼い頃の楽しみだった。
あの頃はたくさんの、楽しみがあった。
森を抜ける時、
ジェレマイアが早足で駆けて行っても、
必ず立ち止まり、リズを待っていてくれた。
振り向かずに手だけを差し出す。
リズはその手を掴んだ。
あたたかくて、優しい、あの幸福。

「私はきっと、思い出を食べながら
老婆になるのだわ。」
リズは呟いた。

あれから毎日のように教会で祈っていた。
けれども、自分の罪が重すぎて、神に
償い切れるのか、と思った。

罪って何かしら。

リズは時々、そう思うことがあった。
そう思っていも、祈り続けることと、
心も体も弱ってしまった義父母の世話を
することだけがリズの支えだった。

ジェレマイアはまだ
両親とブライアン、甥と姪の死を知らないだろう。
知ったならば、彼は帰ってくるかもしれない。
ジェレマイアが帰ってきたら、と思うと、
リズは心の奥底から鮮やかな揺らぎを感じる。
けれどもそれを押し込めて、何も
感じないようにしていた。



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