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創作大賞2024恋愛小説部門 「青い海のような、紫陽花畑で」3話


懐かしい夢にまだ酔いしれながら
リズは階段を降りた。
居間には両親とジェレマイアがいた。
美しい夢は消え、
もう、そこは突きつけられた現実だった。

「気分はどう?リズ。」
母のメアリーは心配そうにリズを見ていた。
リズは口元で小さく微笑んだ。
「リズ、実はブライアンが夕方、
時間が作れるそうだ。湖畔の別荘に招き、
食事をしようと思っている。
しかし、いちばん大切なのはリズの体調
だから。どうかな?」
父のセオドアはジェレマイアとよく似た
優しい声、話し方をする。
ジェレマイアは紅茶を飲みながら、
少し居心地悪そうにしているのをリズは
感じた。
両親の顔色を伺いながらリズは言った。
「もう大丈夫。別荘に行ったらクチナシの
森を歩いて、そうしたらきっと夕方には
もっと元気になるから。」
リズの言葉にセオドアもメアリーも
安堵の微笑みを浮かべた。
「気をつけて、行っておいで。」
ジェレマイアは言った。
「ジェレミーは行かないの?家族が
集まるのに。」
リズが言うと、ジェレマイアは
カフスを直しながら言った。
「教授が厩舎で馬の脚の治療をするから
研修生として勉強しなきゃ。」
上目使いにジェレマイアを見ると、
リズは紅茶を一口、飲んだ。
「そう。よく勉強していらっしゃってね。
研修生さん。」
リズは時々、こうした強がりの、
生意気な口をきくことがある。
ジェレマイアは聞き流した。


湖畔の別荘で会ったブライアンは
銀行員で家柄も良く、頭の切れる
しっかりした男性だった。
ブライアンの母はリズを、
美しいブロンドに優しいブラウンの瞳、
そして芯のしっかりした女性であると
褒めた。
この瞬間、リズは人生はもう決まり切って
しまったと落胆する思いを抑え、
笑顔で常識に溢れた、若い娘を演じた。


別荘から戻り、リズは
紫陽花畑に佇んでいた。
まだ白い色の紫陽花。
リズの結婚式の頃には
青い海の色に染まっているだろう。

ジェレマイアは紫陽花畑で
リズを見つけ、静かに近寄った。

リズは紫陽花畑で涙を流していた。
どうしても人生は思い通りにはならない。

「リズ?」
優しく声をかけるジェレマイア。
振り返る前にそっと涙を拭くリズ。
「ただいま。」
リズはつぶやいた。
「おかえり。」
ジェレマイアは言った。

「疲れたでしょう?」
リズの言葉にジェレマイアは静かに
息を吐いた。
「難しい治療だった。
このまま快方に向かってくれたなら。」
ジェレマイアのくしゃくしゃした髪をリズは
見ていた。
「大変ね。」
リズはジェレマイアの髪を撫でた。
リズからふわりと、甘い香りがして
ジェレマイアは鼓動が早くなるのを感じて、
その戸惑いをごまかすように言った。
「ブライアン、
ふたつ上の先輩で、優秀だったな。」
リズはジェレマイアを見た。
「そうね、優秀な方。でも私は彼の
金融の話に興味はないけれど。」
リズは言い放った。
「恐竜やドードー鳥の話なら興味がある!」
そう言って無邪気な笑顔でジェレマイアを
見つめた。
ジェレマイアは笑った。
「ドードー、少し悲しいよな。
何も悪くないのに。体が大きくて飛べない
だけで。ただ愛らしいと思ってもらえたなら
それで良かったのに。」
リズはジェレマイアから恐竜たちの話を聞く
のが好きだった。
聞いた恐竜の話を思い出し、
リズは静かに微笑んだ。
「何?」
ジェレマイアは問いかけた。
リズは小さく首を振った。
思い出は兄妹の温もりのようで、
その実、リズにとっては愛の温もりなのだ。

「ねえ、ジェレミー、人は何のために
生きていると思う?」
ジェレマイアには
リズの眼差しがいつになく深刻に見えた。
「生きている意味なんて、わからないよ。
生まれたことだってわからないのに。」

「私たちはどうして出会ったと思う?」
リズは言った。
ジェレマイアは考えつかなかった。

「わからない。気が遠くなってしまうよ。」
そう言って、目を閉じた。
そして深く、青い海を思い浮かべていた。

「同じ海から生まれたのに。
どうして出会ったのかは、わからない。」

そう言ってリズはジェレマイアの手を
そっと握った。
幼い頃、そうしたように。
ジェレマイアもリズの手を握った。
幼い頃、そうしたように。
お互いが目を閉じて、青い海を思い浮かべ
ながら。

リズの手の温もりを感じなから、
ジェレマイアは言った。
「リズのことは、ただ、愛らしいよ。」
その言葉がリズの胸に入っていく。
鈍い痛みを伴って。

「私はドードーじゃない。
ただ愛らしいと思ってもらえても
満足できない。だって私は心を交わして
愛を交わすために、愛を抱くために
生まれたのよ。」

リズはそう言って零れ落ちそうな熱情
の光をジェレマイアに向けた。
指先からその瞳、その唇、
鼻筋、柔らかい肌、耳、首筋‥‥。
すべてから放つ、無垢と熱情が
混ざり合う。
それが、ジェレマイアを揺さぶる。
唇を重ねるまでの距離、
抱き合うまでの距離、
いくつかの距離を越えたなら
愛は色づく。
白い紫陽花が青い海に染まるように。
ジェレマイアが越え、
リズが越え、
二人で熱を帯び、暖かに
溶け合うのをリズは夢見た。
それでも
今、それが起きることを望みながら
どこかで、夢でしかないと思っていた。

リズの熱情を受け止めきれず、ジェレマイア
はリズの手を離した。
そして不器用過ぎるジェレマイアはリズから
背を向けて去った。

リズの胸が鋭く痛む。
リズはまるで自分が
トスカやデズデモーナのような
オペラの悲劇の主人公のように思えた。

それでも手には
ジェレマイアの
愛の温もりが残っていた。

4話へ続く


2話はこちらです。

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