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大切な人たちはみんないなくなってしまうと嘆いていた頃

私がグリーフケアと出会ったのは2016年。
グリーフケアと出会って、今私がボランティアとして運営のサポートに入っている『グリーフケアcafe』に、初めは参加者として参加していた。
そこで自分の喪失体験を語り、他の参加者の皆さんの喪失体験に耳を傾け、グリーフについて少しずつ学び始めた。
いつの間にか運営サポートに回るようになり、途中病気や何かでお休みを挟みながらも、気づけば7年も関わり続けている。

母が急逝したのは2011年のことだ。
その前に、大好きだったホストファーザーが急逝していた。
そして母の後を追うように、母の愛犬が病死。
私の大切な人たち、大切な存在は、こうやってみんないなくなってしまうのだろうかと、不安と嘆きがいつも心にあった。

人生は喪失の連続とも言えるかもしれない、と、私の師である日本グリーフ専門士協会代表理事の井手先生はおっしゃる。
大きな喪失体験は死別であるけれど、離別や病気、怪我、障害、転居など、さまざまな形で色々な『大切なもの』を失う体験を、私たちは繰り返している。
それは本当に辛いことだけれど、多くの人は何とか心に折り合いをつけ、表面上忘れたことにしたり、心の奥底にしまい込んだりしながら笑って生きている。

でも、そうはいかないこともたくさんある。
また、何かのきっかけでしまい込んでいたものの蓋が開いて、今までできていたいわゆる普通の生活ができなくなることだってある。
それは、その人が弱いとか我慢が足りないとかそういうことではなくて、環境や条件、タイミングなど、さまざまなものが複雑に絡み合って、そうなるのだ。
そんな時、側で寄り添って、ただ話を聞いてくれる、一緒に立ち止まってくれる人の存在がどれだけありがたかったか、という体験が、今の私に繋がっている。

あの時、大切な人たちに置いて行かれて哀しみ、寂しさ、孤独、そして何だか自分でもよくわからないネガティブな感情の中に取り残されてしまったような、そしてこれからもそれが続いていつか一人ぼっちになってしまうのではないかと恐れたような。
そんな苦しい、長い長い時間があったことを、今月もグリーフケアcafeを開催しながら思い出した。

今、哀しみがなくなったわけではない。
グリーフケアに出会ってからも、私の喪失体験は続いていて、実際に大切な人が何人もいなくなってしまった。
それでも、こうして語れる場があって、その場所を守る仲間がいて。
気付けば趣味やボランティアや仕事で、この人たちとの時間は私のホームだ、と思えるような居場所があって。
家族がいて。

「一人ぼっちじゃないよ、むしろたくさんの出会いが待っているよ」
と、その頃の私に教えてあげたいなと思う。



もし、この記事をお読みくださっている方で、グリーフ(喪失の悲嘆に伴う心身の様々な不調、不安などの状態)に苦しんでおられる方へ。

こちらには、協会の取り組みについて、またオンラインや地域で開催されているわかちあいの会、カウンセリングについての記載があります。
学ぶための講座についての記載もあります。
ブログ記事も何かのお役に立つかもしれません。

他にも『グリーフケア』と検索すると、以前よりもたくさんの情報を見つけることができるようになりました。

必要な情報に、必要とする方がたどり着けますように。

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