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興味関心の種類が時に人を傷つける

誰かに興味関心を持って接してもらうということは、基本的には喜ばしいことなのだと思う。
誰も自分に興味がない、関心を向けてくれないという状況は、つまり誰も気にかけてくれないということだと思うので、さぞかし孤独な状況だろう。

ただ、傷つく場合というのも多々ある。
一番わかりやすいのはストーカーによるものだ。
自分勝手でねじ曲がった興味関心、相手の気持ちを全く尊重しない言動、迷惑この上ないし身の危険すら感じるものだ。

また、有名人がプライベートを詮索されるようなケースもそうだ。
常に人の視線を気にして、自分の一挙一動に勝手な批判を浴びせかける存在におびえながら暮らすことは、本当にストレスフルだと思う。
批判を浴びせる側に悪意がなかったとしても、価値観の違いもあるし、そもそも人は常に正しい行動をとれるわけではないのだ。
誰でも間違うし失敗するのだし、些細なことを鬼の首を取ったように取り上げて攻撃することで誰が幸せになるのだろうか。

そして私が最近感じたのは、気にかけて関心を持って接しているつもりが、関心を持たれた側は興味本位で接せられているように感じてしまうケースもあるということだ。
そこには、傷ついてしまう側の劣等感が関係しているのではないかと思った。
本当に私のことを思って話を聞いてくれているわけではない、面白半分、興味本位で人の不幸話を知りたいだけ……
そんな風に捉えてしまうのは、相手よりも自分が劣っているから、相手は自分を大切に扱ってくれるはずがない(同等に扱ってくれるはずがない)と、無意識に判断してしまっているから、とは考えられないだろうか。
少なくとも私には、過去にそういったことがあったと思う。

そのような場合はどうしたらいいのだろう。
そっとしておく、というのもひとつの選択肢だろう。
放っておけないようなケースは、とにかく言葉だけでなく表情やしぐさなどの全身で、また時間をかけて程よい距離で関わりながら根気よく寄り添い続けることで、相手の信頼を勝ち得るしかないのかもしれない。
それでも相手が傷つき、拒絶するような状況になってしまったら、私はどうするだろうか。
仕方がないと離れて見守ることしかできないかもしれない。
そして、自分は匙を投げたのと同じなのではないか、という想いに苛まれるかもしれない。

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