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独りでグリーフと闘っていた頃

今日は毎月サポートとして参加しているグリーフケアcafeの開催日だった。

グリーフとは、喪失の悲嘆による苦しみのこと。心だけでなく、体にも影響を与えることがある。
「いつまでも泣いていないで前を向かないと。」
「そんなに悲しんでいたら○○さんが成仏できないよ。」
「何か趣味でも見つけて気分転換したら。」
そんな風に、周囲の人がおそらく励ますつもりで書けた言葉に傷つき、理解されないことで心を閉ざしてしまったり、自分が哀しみから抜け出せないことで周囲に心配や迷惑をかけていると自分を責めたりしている人たちがたくさんいる。
グリーフケアCafeでは、安心して哀しむことができるし、素直な気持ちを語ることができるし、ただそこに居て傷つけられることを恐れずにいられる時間を過ごすこともできる。

私がグリーフケアCafeと出会ったのは、母と突然死別して5年ほど経ってからのことだ。それまで、まずグリーフという言葉も知らなかった。グリーフという言葉にたどり着いたということは、助けを求めて情報を検索していたということだ。
グリーフは同じ家族の中でも感じ方が違うため、もやもやとした感情が湧きだしてくることも多い。それは当たり前のことだ、価値観は人それぞれ違うわけだから。でも同じ家族なのに自分の感じていることを理解してもらえそうにない、と感じてしまうことは、さらなる孤独感に繋がる。それもごく普通に起こりうることだ。

そのような中で、グリーフケアCafeと出会う前の私がどのように自分のグリーフと向き合っていたのか、なぜか今日まで振り返ることがなかった。振り返ってみて思ったのは、感じることを極限まで避けていたということだ。向き合いたくなかったのかもしれないし、しっかりしなければと思っていたのかもしれない。
そしてどうしていたのかというと、仕事と子育てに全エネルギーを集中させていた、傾倒していたと言ってもいいかもしれない。特にその対象となった娘には申し訳ない気持ちでいっぱいになった。過干渉のようになっていたかもしれない。

グリーフケアCafeと出会って、毎月その時心に浮かんだことを語るようになった。自分でもグリーフケアについて学ぶようになり、いつの日からかサポートさせていただく側の席に座るようになった。
それから7年以上の月日が流れたが、その間に母との死別だけでなく様々な喪失体験があって、胸の内をその時々に言葉にしてきた。そのことがどれだけ私の人生を支えてきたか、とても言葉で表現することができないくらいだ。これまでご参加くださった方々にも、そのような言葉をたくさんいただいている。

今日の私のように死別後13年近く経ってもなお、心の奥底に押し込めてあった感情が表に出てくることがある。そして、生きていれば次々と新たな喪失体験が訪れるということを考えると、本当はこのような場がもっともっと当たり前に身近にあるべきなのに、と思う。
そして、グリーフについて学ぶ機会が教育課程の中にあって欲しい。そうしたら価値観の違いや知識不足から傷つけられるようなこともきっと減るだろう。多くの場合、寄り添いたくてかけたであろう言葉で傷ついてしまうのだから。

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