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幸せを感じられるのは、他の感情もしっかり感じているから

幸せというものは、しっかり目を凝らしてないと見えないことがある。
どうしてなのだろう。

私は、これまでの人生に辛い要素がたくさんあって、人生なんてこんなもんだと思っていた。
だから、とあるカウンセラーに「これまで大変だったのね」と言われた時に、本当にびっくりした。
そしてたくさん泣いた。
大変だった、辛かった、って言っていいんだと初めて思えて、ありがたかった。
そしてその時に、辛いと感じていいんだ、と思えたことが、多分変化の始まりだった。

自分が感じていることを、誤魔化したり目を瞑ったり、なかったことにしたり諦めたり。
そういうことをしなくなったら、『幸せ』と感じている瞬間にも、ちゃんと気づけるようになった。
それができたのは、私の話を聞いてくれる人がいたから。
根気強く耳を傾けて、否定せずそのまま受け入れて、自分との付き合い方を教えてくれた人たちがいたから。

そして何より、たくさん学んだからだと思う。
講座とか本とかだけではなく、人との関係の中で、出来事の中で、時には自分との付き合いの中で。
『知識は武器になる、お守りになる』と私は常々思っているけれど、このこともそうだ。

自分にとっての幸せがどんなものなのかは、自分で決めていい。
今の私は、それを知っている。
でも、そのことに気づいてない人が多い気がする。
そしてその基準も、これだ!ってものに出会えると幸せ度は一気に爆上がりするのだけれど、その基準に出会えるまでが大変なのかもしれない。
少なくとも私はそうだった。

ちなみに、「自分が感じていることを、誤魔化したり目を瞑ったり、なかったことにしたり諦めたり」はしなくなったけど、「横に置いておく」ことを覚えた。
これはとても大切なことだ。
感じることは無理に抑え込まなくていい。
でも、それにいちいちその場で対処しなくてもいい。
ただ、感じている、ということを感じればいい。

今自分が感じている幸せを、しっかり味わうことができるようになって、迷いなく「私は幸せ」と言えるようになった。
私が幸せを『感じられる』のは、他の感情をしっかり感じているからだ。
ただ、幸せの基準はまた別のところにあって、それが何なのかわかっていると、感じる幸せの重みというか、度合いというか、リアルさというか…とにかく質が違うように思う。

自分なりの幸せの基準、条件のようなものはあっても、幸せを感じる事、幸せに気づくこと、が出来なかったら、結局あまり幸せとは言えないのかもしれない。
逆のことも言えそうだ。

こんな難しく考えなくても、幸せ♡と言える人はそれでいいのだけど。
幸せってどういうこと?どうしたらなれるの?と悩んでいる人は多い気がするのです。

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