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ランドルト環の欠けているところ

受講中の講座の中で、いつも同じような人間関係のトラブルに巻き込まれるのは、その人の中に何か欠けている要素があって引き寄せてしまっているのか、という例が話題になった。

実際には、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。その人と話をしてみて、その人の生き方のクセのようなもの(性格に近い、アドラー心理学で言う所の『ライフスタイル』)や周りの人との関係性、トラブルの状況などを総合的に考える必要がある。たまたま続く、ということもあるだろうし、何かパターンが見つかるかもしれない。

ただ、『欠けている』という表現について、講師の先生がこんなことをおっしゃった。

「欠けてるのよ(笑) 私たち誰でも、どこかしら欠けているし、それでいいのよ。
丸は歪んでないきれいな丸じゃなきゃとか、完璧じゃなきゃいけない、完璧を追求する、みたいなところ、特に日本人はあるけど。
概ね丸ならいいの、概ねできていたらいい。そう思わない?」
(ちょっとアレンジしてます・笑)

そして、こんなことも。

「視力検査で使うあのCの形。(ランドルト環)
あれを見ると、みんなCの部分じゃなくて、欠けているところに目が行くのよね。」

そうなのだ。
私たちは、何故か欠けている部分、足りない部分に目を向けがちだ。
得意なこと、好かれるところ、幸せ……両手にたくさん持っているのに、できないこと、嫌がられるところ、不運、不幸……自分にかけているところ、ネガティブな部分にばかり目が行って、ポジティブな部分に意識が向かないことが多々ある。

誰でも両方持っているのだ。なのに、欠けている部分を気にして、恐れて、自分を責めたり卑下したりして、場合によっては問題を大きくしてしまう。

ランドルト環は、欠けている部分も含めてランドルト環だ。むしろ欠けていなかったら役に立たないのだ。
もしかしたら、自分の中の欠けている部分が、失敗に繋がったりトラブルの原因になったりするのかもしれない。そうだとしても、その部分も含めての自分だし、ある部分もない部分も含めて、自分なりに向かいたい方向に、自分のペースで向かって行けばいいのだと思う。

と、さもできている風に書いているけれど、そんな風にいつも考えられたら、もっと生きるのが楽なんだろうなぁ……

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