カミングアウトデーに寄せて

この記事を書くかどうか。正直悩みました。しかし今日だからこそ私が言えることはあるはずです。

性的少数者とされる人々が、世の中に10%以上生活していると聞いたことがあります。

では実際に性的指向・性自認・性表現に関して身近なひとにカミングアウトされた時はどうしたらいいのか、という問題は多くのひとの関心ではないでしょうか。

私個人的には「へー、そうなんだ」くらいの反応でいいと思うんです。ただ、本人が勇気を出して打ち明けた事実を認めてほしいと願います。当事者でないとわからないことは多いでしょうし、ぶっちゃけ戸惑うし、いきなり言われて受け入れ難いこともきっとあるはずです。逆に当事者でないと見えてこないものも結構多いです。

私は割とビクビクしながらカミングアウトしたら、案外周囲は好意的な反応でした。心無いことを言う人がいなかったことには、自分の環境に恵まれたと周囲の人たちに感謝しています。それでも家族や職場、地元の人達には伏せています。「身近にそういう人はいないが、もしカミングアウトされたら決して茶化したりしない」と決めてもらうだけでもありがたいものです。

しかし皆が皆、そういう状況ではありません。むしろ今この瞬間にもなかなか周囲にカミングアウトできず悩む人がいるはずです。人間関係の変化など不安がたくさん募るからです。だからこそ理解できないことも含めて、その人が自分自身について打ち明けることの勇気を認めて欲しいと私は思います。

私の尊敬するひとが言っていました。「人の数だけその性の形がある」それはつまり人の数だけそれぞれの生き方がある、いうことではないでしょうか。

私個人のことを言えば、トランスヴェスタイト・クロスドレッサーという部類になるかと思います。理由は単純です。地下アイドルオタクをやっていたら、「自分が演者さん達に感じているのは性的欲求じゃなくて純粋な憧れなんだ」と気づいたからです。衣装、メイク、ヘアスタイル、ネイル、…細かいところを見るようになりました。アイドルさんともそういったお話ができるので楽しいです。そういう意味では、ひとりの人間同士として深い信頼関係が築けるように思います。

しかしクロスドレッサーというカテゴリーも、誰かが名付けた社会的定義に過ぎません。私の生き方がたまたまそこにカテゴライズされる「らしい」というだけです。私は私らしく生きるだけです。少なくともその権利はあるはずです。

逆にゲイ、レズビアン、トランスジェンダーなどの、いわゆる性的少数者だから自分が望む自由な生き方を手に入れてはいけない。そんな理由がどこにあるのでしょうか?権利が制限される理由は?差別されなければいけない理由は?足立区は本当に滅ぶのですか?

カミングアウトすること自体は当人に非常に大きな心理的負担を伴います。「絶対カミングアウトした方がいいよ、そっちの方が楽だよ!」なんて無責任なことを私は言えません。人間関係の根底をひっくり返す可能性があるのです。むしろ一つの十字架を背負う行為になる可能性すらあります。それを苦に命を絶ってしまう人が世界中にいるいう事実があります。心が痛みます。

繰り返しになりますが、カミングアウトした人に対して茶化したりせずその勇気を認めてほしいと私は思います。

私はこの件でオピニオンリーダーになるつもりはありません。しかし一人の当事者として、誰にも打ち明けられず苦しむ人たちの味方でありたいと思っています。

一人でも自分の生き方について悩み苦しむ人が減ってほしい。それぞれにとっての最良の生き方を選択できる自由があってほしい。私たちひとりひとりがお互いを一人の人間として尊重できる世界になることを願ってやみません。

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