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先輩後輩。

今回は
この変わった職場で働いている理由のお話。

昔から
先輩とか後輩とかどうも苦手で…というか先輩後輩がというよりなんの生産性もない摩擦が嫌いだったので、同級生でも苦手なものは苦手でした。
レギュラーと非レギュラーとか。
中学ではバレー部に所属していたけれどなるべく目立たず頑張りすぎず。めざせB軍ステイ!で頑張っていた。
最後の試合でレギュラーの子が試合中にコンタクト外れちゃって
顧問の先生に「おまえ!行けるかっ⁉」って言われた時こそ
「いけません‼」て
バツと大きく腕で書いた
全力で。

そんなわけで高校はバドミントン部に所属。
個人競技万歳。

そのくらい先輩後輩が苦手…と思っていたけれど
今思うと人と深くかかわることに臆病になっていただけです。
さらけ出すのも、深堀するのも
なんかカッコワルイ…ってな。
拗らせてたのね。

そんな私が保育大に入って出会ったのが先輩(通称スタバ先輩)
遊び方が全力で、常に楽しそうだし、アクロバティックな人なのに
仕事が繊細で丁寧。
仲良くなりたい‼って近づいたけど
先輩に可愛がって貰う術がわからぬ私は、気が付くと姉御肌な後輩になっていた。
仲良くなれるなら何でもいいか。

2年制の学校だったので次の年には後輩ができた。
スタバ先輩は卒業してしまったけど、先輩の遺志を継いで?
車に上って歌ったり、職員室でかき氷したり(涼しいから)、駐車場で焼肉とかしてたらかわいい後輩ができた。

私の面倒をよく見てくれる優しい後輩。
後輩ってこんなに可愛いのか。
中高拗らせていないでもっといろんな人と関わっておけば良かったな。

そして何年か経つ
それぞれ別々に就職していた私たちだが
後に一緒に働くことになる。

後輩は持病が見つかって
時々検査入院が必要で公立の保育所を辞めた。
うちの職場おいでよ~!て誘ったらすぐ来てくれた。
検査入院時以外はすこぶる元気な子で,ヒップホップとかやっててかっこよかった。

スタバ先輩はある日電話かけてきて
「契約社員の契約切れたタイミングで妊娠してたー!絶対戻ってくるから雇ってー!」
先輩らしい。

とにかく大好きな先輩と大好きな後輩と一緒に働くことになった。
毎日楽しくて仕方なかった。

スタバ先輩は予告通り出産してすぐ復帰してきた。さすが。
この楽しい空間に一刻も早く戻りたかったと。
毎日子どもたちのために何ができるか、どんなことをしてあげたいか
とうしたらいいか?
語って、確かめて、LINEもして、電話もして。
それが楽しくて仕方なかった。
どんな時も全力で。行事はまず自分たちが楽しんで。
顔…何回塗ったかな。白塗り、黒塗り、赤塗り。

だけどそんな楽しい時間は
思っていたより期限が早かった。

後輩はある日検査入院したまま帰ってこなかった。
褐色細胞腫という病気で、風邪を拗らせてから悪化してしまった。

検査入院長引いた時に「早く戻りますから!待っててくださいね」
って言ってたっけ。
「早く戻ります」が「早く戻りたい」になって「悔しい…」になった。
入院中も退院したらやりたいことで溢れていて
毎日毎日、ほんとに毎日
先輩と励まし続けた。

カテーテル付けたときも
呼吸器付けたときも
励まし続けた。

本人も戻りたい戻ってやるって最後まで言っていたし
私たちも戻ってくると信じてやまなかった。

だから

戻ってきたら一緒にやるはずだったことのリストが
貯まりすぎていたのだ。

私と先輩はそのリストを達成させていくと決めた。

「子どもたちと一緒にディズニーランドに卒業旅行に行く」とか
「かき氷やさんに来てもらって、かき氷をつくってもらう」とか
達成できたものもたくさんあるけど、まだまだ足りない。
達成できるまではここを辞めるわけにはいかない。
そうスタバ先輩と励まし合いながらどうにか腐らずに頑張っています。

主にこれが
私がここで
働いている理由です。

おおかた。


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