見出し画像

本当の「優しさ・思いやり」は、"相手のためにどれぐらい時間を使うか"ということ。

私の幼少期の思い出と言えば、ほとんどの場面に出てくる人物は、祖父母だ。

保育園の送迎も、体調を崩した時そばにいてくれたのも、全て祖父母だった。

両親は共働きだったので、母親は18時頃帰ってくる。会話する余地もなく、夕飯の支度を始める。

父親は20時ごろ帰ってきて、私とお風呂に入ってから食事をとる。

母親と祖父母は仲が悪かった。

夕食はいつも無言、ひどい時には喧嘩が始まる。

それが嫌でテレビをつけると、「食事中テレビはつけるな」と怒られては、ブチっと消された。

家族での食事はいつも苦痛だった。

小学校にあがってからも、夏休み・冬休みの話相手はもちろん祖父母であったし、病院へ連れて行ってくれるのも、学校から帰宅しておやつをくれるのも、全て祖父母だった。

当然ながら、私も兄も祖父母に懐いていたため、それも母親はよく思っていなかった。

3〜4年生ぐらいから、徐々にお友達の家に遊びに行くことを覚えたが、母親が家に着く18時までに帰宅していないと、むちゃくちゃ怒られた。

「もう○○ちゃんとは二度と遊ぶな」ぐらいにまで言われた。

両親とは、普段から充分なコミュニケーションがとれていなかった。

学校からのおたよりは渡すけれど、目を通しているのかいないのか、提出物に無頓着で、先生からはよく怒られた。

「あら、雑巾の提出日、今日だったの」と、その日の夜に作り始めたりする。

他にも「あら、この承諾書今日が期限だったの」「あら、今日集金日だったの」みたいなことも多く、子供である私は先生に注意される度に「またか・・・」と落ち込んだ。

ここまでくると、親にも言いづらくなる。

親への信頼度はガタ落ちだ。

「この人たち、私には関心ないんだな」と、徐々に相談しづらくなっていき、親が言うことも素直に聞けず、親というのは「なんか怒る時だけ表にでてくるウザい存在」へと固まっていった。

小学4〜5年あたりから、私は爪をかじったり、髪の毛をむしったりする癖がついて、それもまた親に「みっともない!やめなさい!」と、よく怒られた。

家にいるのがストレスでしかなかった。

そして小学校6年生の時、私は遂にパニック障害になってしまう。

学校に行くと震えが止まらない。
とにかく手汗がやばい。

気持ちが落ち着かず、不安からか、常に心臓がドキドキしていて、吐き気がして、給食も全く喉を通らなかった。

体重も減り、好きだった部活も休みがちになり、結局半年ぐらい、まともに学校へ行けなくなってしまった。

病院に行って検査をしても、数値は全て異常なし。

からこそ、私のこの症状は誰にも理解されず、当時は原因不明だったから、尋常じゃないほど私は苦しんだ。

学校どころじゃなかった。
部活どころじゃなかった。

この時点で、すでに、親には完全に心を閉ざしていた。

結局中学までこの影響がのこり、生活全てにおいて支障が生じた。



話を戻していく。

私にとって、「自分のために時間を費やしてくれた人」は、紛れもなく祖父母である。

私の人生は、間違いなく保育園〜小学校の生活が基盤になっている。

その頃から実家は窮屈で、「怒られる場所」だったので、一刻も早く家を出たいと思っていた。

保育園児の子供を持った今、祖父母が毎日欠かさず保育園の送迎をしてくれていたことを考えると、さぞ大変だっただろうなと察する。

自分も同じ境遇に立って初めて、祖父母の優しさと思いやりを感じている。



仕事においてもまた、同じである。

自分に対し「しかたなく指導してくる人」と「私のために指導してくれる人」の違いというのは、働いているとなんとなく分かってくる。

熱量と、時間のかけかたが、尋常じゃないほど違う。

何の見返りもなく、自分に対して時間をかけて丁寧に向き合ってくれたからこそ、私も相手に対しリターンしようと思える。

言葉にせずとも、行動が全てを物語る。



まとめていく。

相手のために時間を割き、手間暇かけることが、優しさであり、思いやりであることは紛れもない事実だと思う。

身をもって感じるし、実際、夫と結婚を決意した理由も"そこ"にある。

だからこそ、3歳の息子に対しては、しっかり時間をかけて送迎もするし、自分から率先してコミュニケーションをとりにいく。

一緒にいる時間が長い分、とことん彼に向き合って、相談しやすい環境をつくる。

子育ての真髄って、習い事云々より、結局は"そこ"なんじゃないかなとひしひし感じる。

そんなことを思ったので、文章に記しておく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?