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ODのあとしまつ

ODで自殺を図った詳細は前回の投稿をご覧ください。

今回は後日談として、失敗した結果、順調に進められた治療過程から入院中、そして後日談をできるだけ思い出そうと思う。

補足としてODはオーバードーズ、薬物の過剰摂取のこと。
今回私は、アセトアミノフェン中毒を狙って市販の風邪薬を致死量まで飲み、連絡をした友達の迅速すぎる対応によってあっという間に救出されたのだった。

救急車で近くの三次救急に指定されている救命救急センターに搬送され、朦朧とするもかろうじて残る意識の中、治療が始まった。

まず胃洗浄からスタート。
そもそも胃管の管が飲み込めず、暴れる。
管の存在はのちのちまで苦しめられた。
胃洗浄自体は無の境地、というより意識朦朧としてて記憶なし。

それから活性炭。こいつがダメージ大。
ひたすら嘔吐。投与からしばらくずっと嘔吐。
中毒のせいなのかなんなのかは分からんけど一番吐いた。
活性炭とセットの緩下剤ものちのち地獄をみる。
途中から下剤のせいで何をしてもシャバシャバのお通じ。お腹が痛すぎて死にたかった時の気持ちも何も考えられない。

拮抗剤のアセチルシステイン投与。
最初は胃管から。しかし点滴から食事に切り替わると、管の影響で嚥下しづらく全く食べられないことから、胃管を抜く方向に。
ただし経口摂取になると硫黄のような強い匂いで飲めないのでは?という懸念から、100%ジュースをアセチルシステインの直後に飲んで中和させる作戦に。
実際やってみると、確かに臭いものの、支障なくクリア。
そもそも100錠の薬飲んだ人間がそれより飲めないものなどこの世にないので、問題があるはずがなかった。

大きな治療としてはそのあたり。
あとは、尿道カテーテルもしばらく繋がれていただが、普段頻尿で悩んでる身としてはなんて便利なんだろうと思った。
もう普段もずっとこれでいいくらい。

また、入院したのが三次救急の救急病棟のため、周りは私以上に緊急事態な人たちで溢れていた。

とはいえ、致死量の薬をキメてくる自殺未遂者もおそらく医療スタッフの皆様から見たら似たような括りではあるのかもしれないけれど。

隣のベッドのおばあさんも精神科領域の患者さんのようで、他の患者さんはカーテンでベッドを仕切っているにもかかわらず、我々二人は常にカーテンが開いたままだった。
そして向かいには必ず看護師が立っていた。おそらく見守りというか、悪く言えば見張っていたのだと思う。

他にも命の危険ギリギリの人がいるにもかかわらず最優先で言動を見られている。
自分で勝手に死のうとする危険人物。何をしでかすかわからない、ほっといたら死ぬかもしれない人間。外から見た位置付けをそのとき理解した。

救命措置が早い段階で行われたため、肝臓の数値は安全なラインまですぐに落ち着き、予定していたアセチルシステイン投与も途中で切り上げとなった。

身体の面は今後長期的な経過観察をする方針となり、残った退院への最後の鍵は精神的な部分だった。

「精神科病棟へ入院をしなければならないとなると、あなたの生活やこの先に影響があります。僕としては、もし今ここでもうこういうことをしないとお約束できるなら、退院して通院しながら心の方を治していただきたいと思います」

精神科医は多くは語らなかったが、そこに入院することは仕事も私生活も、あらゆる人生の大きな部分に影響が出ることは想像できた。
とはいえ、正直にもうする気はありませんと答える状態でもなかった。

「わかりません。辛いことは変わりません。でも、そうならないように過ごします」

私の精一杯の答えを聞いた医師は頷いて、退院許可と今後の通院について説明を始めた。

退院日はその足で父母が私の住む家に来てご飯を作り、母親だけ一泊した。

実家に帰ってくるよう説得されたが、タイミングよく命の恩人となった友人が「どこか静かな場所に出かけよう。泊まりがけで」と誘ってくれたことを伝えると、友人に頭が上がらない母はあっさり承諾した。

友人とその母親は、翌朝車で家まで迎えに来た。
そして、都内のシティホテルを予約していたようで、そこで残りの連休は過ごした。

少し外に出て食事を摂る以外は、基本的には部屋の中を軸に過ごして時々おやつを食べてコーヒーを淹れた。
テレビはずっと流れていて、話し声が絶え間なく続いた。

その間、脈略なく涙が出て動けなくなる私の背中を時々友人が撫でた。

そんな様子で食べて、少し歩いて、お茶をして、泣いて、寝て、を繰り返しながら3連休は過ぎた。

最後の夜、薬が効いて落ち着いているタイミングでそれまで話せなかった経緯を話した。そして退院した後の今、自分がこれからのことをどう考えているのかを。

まだ言葉はうまく話せなかった。
こんなに大切にされているのに、口に出るのは未だに死ねなかったことの後悔とこの先の未来の絶望感で埋め尽くされていた。
恩返しできないどころか、救いたいと全力を尽くしてくれた友人たちの気持ちを汲むことすらできない自分の弱さにうんざりしてまた涙が出た。

友人母娘だけではない。
入院を知って連絡をくれた他の友人も、会社の先輩も、両親も、みんなみんな心配していた。
わざわざ連絡をくれて、言葉をかけてくれた。
なにより無事でよかった、と。

それなのに、私が一番欲しかった人からの言葉がないだけで、こんなにも沢山の人からの優しさも、思いも、全部無下にしている。

どうしてこんなにわがままなんだろう。
どうしてこんなに勝手なんだろう。

心配と迷惑かけて申し訳なかったな。
起こったことはケジメをつけて、
ちゃんとしっかりしなくちゃな。
馬鹿なこと考えてないで、生まれ変わってまずは自分の周りの人を大切にしなきゃ。

どうして、そんなふうに思えないんだろう。
なんてひどい人間なんだろう。
こんなやつに、気にかけてもらう資格なんてないんだよ。
死んでくれてせいせいした、って言ってくれよ。

それなのにみんな、みんな、あの人でさえ言うんだよ。
お願い、絶対死なないって約束して、って。

そんなこんなで、初めての自殺未遂は失敗に終わった。
どれだけたくさんの人の悲しそうな顔を見ても、死ねなかった後悔は消えない。
たくさんかけられた言葉も、他人事のようで実感がない。

薬も、丈夫そうな細長いものも、目にするだけで死に方を考える。
車のエンジン音を聞くと轢かれる自分を想像する。
いつだって頭の中で準備はできている。

ただ、毎日涙が出る。
静かで真っ暗な世界が苦しい。
楽しかった時間も、あのとき描いた未来もここにはない。
大切な人が今何を考えてどうやって生きているのか知る術はない。
死にかけたことを知ってほしい気持ちも、知ってほしくない気持ちもどちらもある。
相手を殺して自分も死にたい時もある。

落ち着く日はこないかもしれない。今度こそ誰にも伝えずに終わらせるかもしれない。

私は身勝手で、わがままで、いつも自分のことばかりだ。
子どもみたいに駄々をこねて、周りの全てを傷つけて壊してばかりだ。
大切にしたいのに、一緒にいたいのに、全部むちゃくちゃにしてしまう。

もうどうしようもない。こんなことを起こしたって変わらない。
きっとこのまますぐに死ぬと思う。
世の中のためにも早く死んでほしい。

人を笑顔にすることも、誰かを救うこともできないことは十分わかった。私は生きてる間にもうそういう生き方はできない。

一人暮らしの元の部屋に帰って、一枚のカードに署名をした。

1.私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。

マルをつけて、財布にしまう。
死んだあとくらい、役に立ってくれたらいい。
それが、私に出来る唯一のあとしまつ。

今夜も死にたくなるから薬を飲む。
明日会社でつく嘘を考える。
喉に手を突っ込んだら死ねるかな。
苦しくない死に方を探して今夜もきっと眠れない。

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