歪んだ憧れ〈かわいい服を着たい〉①
〜幼少期:人形ではなく私が着る〜
・身も心も「かわいい」とは程遠い
私は幼い頃からフリル、レース、リボンたっぷりの服に強い憧れを持っていた。
しかも、その憧れは子どもらしく健全なものとは言い難いものだった。
現実の私が母から着せられていたのは、冬はフリース、夏はTシャツと、ガーリーとは程遠い服。本当はフルーツ柄のワンピースにビーズのアクセサリーを付けて出かけていきたかった。
髪も剛毛で手入れが大変なため、いつもモンチッチのような丸く短いショートヘアだった。
あまりに髪が厚いので、頭頂にちょんまげを作られたのが、当時恥ずかしくて仕方がなかった。
(その時流行っていた「バカ殿」と呼ばれることを非常に恐れていた)
振る舞いもかわいいとは程遠く似つかわしくものだ。
せっかく親にかわいいヘアスタイルにしてもらっても、生まれつきの落ち着きのなさ(今思えば多動か?)にヘアゴムをすぐに取ってしまっていた。
そのくせ、きれいな編み込みにかわいいヘアゴムを着けた女の子に嫉妬の感情を持った。
私はいつも公園に着くなり、とにかく叫び暴れ回る。手と服はいつも砂で汚れていた。
粗暴な自分がかわいい服に憧れを持つことに、幼いながらも多少の羞恥心はあったけれども、叫び、遊び回りたい衝動で常に脳は支配されていた。
・「クソガキ」の衝動
また、その衝動は「暴れたい」「叫びたい」だけでは済まなかった。
「欲しい」という衝動だ。
私は自分の欲しいものが手に入らないと気が済まない厄介な子どもだったのだ。
おジャ魔女どれみのコンパクトやステッキの食玩で、「ペペルトポロン」が出るまで叔母に何箱も強請り続け、根負けした叔母がスーパーの店員に在庫を尋ねるほどの「クソガキ」ぶりである。
ついに、その「クソガキ」ぶりを完全に開花させるできごとが起こる。4歳ごろだったか、母から私への誕生日プレゼントはリカちゃん人形だった。私はそのプレゼントに衝撃を受けた。なぜ、私ではなく、人形がかわいい服を着ているのか。なぜ、私が望むものが手に入らないのか。一方で、憧れているかわいい女の子になるには、お人形をプレゼントされて喜ばないといけないことも分かっていた。
粗暴な自分がかわいい服を着たって似合わないことは分かっているのに。でも、欲しい。今すぐ欲しい。絶対に私が着る。かわいい服が手元にあれば私の「クソガキ」は勝手に治ると思っていた。
・「欲しい」との共生
こうして、幼少期の歪んだ「欲しい」の衝動からはじまり、振る舞いが落ち着いた年頃からは、花園を覗くような穏やかな憧れに変わり始める。現実になるのはここから10年以上先になるのだが、それまでも、そして今でも「絶対に現実にしてやる」という強い思いは消えることはない。
②へ続く
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