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謙虚を持って刀を磨き続ける

ほとんどの人は経験を重ねていく中で、何かをわかったような振る舞いをし始める。これは誰にでもある。それは成長とも言えるけど、時間軸で考えると好ましくない状況を生み出すケースがある。

何かを習熟するために人は一定段階まで一生懸命に取り組む。1つを深く学ぶことはその周辺のことも含めて学べる。ただ、そこで全能感を持ってしまうケースがある。多少の自信を持つことはよいが、その1つの経験や実例を持って昇進したりする人には、この状況がたまに起きる。

そのような状況を回避するためにも、専門領域に関してはその後も、常に謙虚であり続けるべきだ。どんな領域でも新しいことが発見され、生み出されているからだ。
そうでなければ、自分が得意だと思っている武器はいつの間にか役に立たない状態になっていて、それどころか足枷になっていることが多い。
そして、「いつの間にか」という時間軸は意外と早く来る。多分5年以内。

例を挙げると、大規模システムをJavaで10年前に作ったプログラマが時を超えて2023年にその知識のまま現場に降臨したらどうなるか?
10年間管理職を勤め上げてきたとしても、開発にはあまり役に立てないだろう。業務に関する要件定義やテスト設計には少し貢献できるかもしれない。でも、今はそれすら自動化など新世界の常識に圧倒されるかもしれない。

管理職経験により、「調整業務には重宝されるよ」という意見があるかもしれないがそれは単純に新しい10年間の経験が生かされているだけ。これでいいじゃんという世界もあるが、こういう動きは日本的なジェネラリスト志向の根っこの気がする。これは経験の蓄積の価値を軽視していると言える。

では、その10年をどのように過ごせば良いのか?
自分の持つ刀を磨き続ければいい。これはずっと修行し続けなければいけないという意味ではない。でも、知識は積み重ねであり、急に10年分の知識をLLMのように数日で理解することは人間には不可能である。

自分で勉強するということができたら良いが、忙しい管理職を過ごしている人にとっては難しい。
1つの方法としては、メンバーとの1on1で謙虚さを保つことだと思う。「俺はわかっている、それはやったことがある」という態度で臨むと自分の経験はいつまでもアップデートできない。メンバーにとってもあなたは今も役立つナレッジを保有している対象ではなく、ただ過去の経験を話すだけの存在にしか見られない。

経験を他者に役立つナレッジに変えるには謙虚さが必要になる。 経験はその当時のスキルに紐づいた形でその個人に暗黙知化している。そのまま何もせずに年月が経つとどうなるか?先に挙げた例のように、使おうとした時にその刀は錆び付いてしまっていて、鞘から抜くことさえままならない。

そうならないためにも、刀は定期的に鞘から出して磨いておかなければいけない。人とのコミュニケーションを通して、新しいスキルや新たな経験という研ぎ石で研ぎ続けないといけない。

ただ、その刀の状態に気づくためには、多くの人と話して自らの謙虚さを保っておく必要がある。
学びには知る/触れる/実践する/アウトプットする/フィードバックを受けるなどの段階がある。
多くの時間をかけれなくとも、謙虚な姿勢で「知る」と「触れる」を継続しておけば、あなたの過去の経験はアップデートされ続ける。
それができれば、あなたの刀はいつでも鞘から抜くことができるように、いつでも引き出せるナレッジとなり、実戦で使えるものとなる。

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