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佐分利谷の古民家の伝説。

グッドモーニングのトキオカです。
ひょんなことから福井県おおい町にある
築230年の古民家「佐分利谷の古民家」を
譲り受けることになった僕たちグッドモーニング。

今回はその「佐分利谷の古民家」に残る
伝説についてお話します。

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これまでにもお伝えしたように、
この古民家は、もともと戦国時代にこの地を治めた
武藤上野介の仕えたとされる家老の家でした。

家老の家は、武藤上野介が滅んだ後にも
この地に何代にも渡り生活してきました。
そして、現在残る「佐分利谷の古民家」が
建てられたとされるのが天明年間(1781~1781)。

江戸時代の中期から後期に差し掛かるころで、
前の年号が安永、次の年号が寛政となっています。

ちなみに時の将軍は第10代徳川家治と第11代徳川家斉。

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wikipediaによると、天明年間の出来事として
1782年から1788年まで続いた「天明の大飢饉」の記載が見られます。
実はこの「天明の大飢饉」が、「佐分利谷の古民家」に
大きな影響を与えていたのです。

天明年間に、おおい町のお隣、高浜町から
京都に出稼ぎに出かけていた大工集団があったそうです。
ただ飢饉でどこにも仕事がなくなり、郷里である高浜に帰ろうと
昔の京街道を丹波から石山に越えてきました。

そこでいよいよ疲れ果てて、石山集落の家老邸にて
しばらく休ませてもらうことになりました。

当時の当主と話をするうちに、大工の一人から
家を建て替えさせてほしいとの提案があったそうで。

当初固辞していた当主でしたが、
あまりに熱心に大工たちが頼み込んだこともあり、
それほど困っているなら人助けにと、
ついには大工たちに立て替えてもらうことにしました。

こうして建ったのが現在の「佐分利谷の古民家」というわけです。

ふるさと百話

ちなみに当時の京は、やはりこの周辺では際立った大都会。
若狭周辺には見られなかった技法や道具が
随所に取り入れられていたようです。

それから約230年。
古民家は今日まで堂々と佐分利谷を
見守ってきたといえるのではないでしょうか。

それを譲り受けることになった僕たちグッドモーニング。
こんな歴史ある建物を、もったいない使い方はできますまい。
ますますテンションが上がりますね。

次回、家老の仕えた武藤上野介についてお伝えします。
この人も、なかなか興味深い人物です。

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