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ある映画について

昨日観てきたドキュメンタリー映画『刑法175条』について。


昨日、『刑法175条』という映画を観てきた。
この映画には、かつてドイツ刑法にあった男性同性愛を禁じる条文「175条」により迫害を受けたゲイの方々が証言者として登場するんだが、ホロコーストから生還してきた人もいる。
この映画が制作されたのはおそらく1990年代後半。つまり、インタビューに答えた方々が存命していたギリギリのタイミング(つまり、そこから30年近く経った今はおそらくもう…)の、本当に貴重な証言が記録された映画なんだが、ひとくちに「方々」と言っても、その経験/辿ってきた道/選択は様々だ。そもそも証言を拒否した人もいる。

とても不思議な感覚をもたらす映画でもあり、最初のほうの印象は「なぜ証言者たちはこんなにポジティブに自分の経験を話すのか」というものだった。なんというか、どこか陽気さも漂う。しかし、それは次第に”よそ行き”の話であることが分かってくる。


映画『刑法175条』場面写真(回想場面)

その人は、なぜ自分のかつての苦しみを誰かに話さなければならないのか(話すということをしないのはなぜなのか)なぜ楽しかったことの写真以外全て捨ててしまったのか…ということが、映画が進むにつれ少しずつ分かってくるんだが、その程度が自分の今まで得てきたなけなしの知識を遥かに上回るレベルで、もう言葉を失うしかない。
 
これらの「なぜ」は、言うまでもなくこの映画に限らず、このテーマにも限らないが、その体験をしていない人にとってはそのことを理解するのは簡単ではない。そもそも理解しようとも思わない人も多くいる訳だが………。


この続きは有料部分とします。
 (内容は、この感想の続きと関連する映画2作品について)
 
有料にしたのは、自分にとっては最後まで書き留めることの方が大事で、自分のことにも言及しているのでむしろ読んでもらわなくても構わない…と考えているためです。

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