私がネイティブ英語に拘る理由

語学学校の先生に聞かれてからずっと考えていた。なぜだろう。なぜ私は、訛りのある自分の英語を嫌い、時として訛りの強すぎる英語を聞いてノンノンノン!と思うのだろうか。

ホストファミリー宅への帰路で、現状の最適解に出会った。

それは、自分に自信をつけたい、自分を好きになりたいから、である。

年齢が二桁になった頃くらいから、私は本当に自分に自信がなくなってしまった。時としてくだらないプライドを守るため、人を下に見たり、人の嫌のところばかりに目を向けたりすることがあるけれどそれだって自信のなさの裏返しだ。

一桁の頃はチョモランマ級だった自信も、色々な人と出会い、自分なんかより何倍も優秀な人、美しい人に出会うたび、周りからの何気ない容姿や能力に対する発言を浴びせられるたび、どんどんどんどん削り落とされていった。そしてそれに輪をかけて、20代後半に差し掛かった今、特に深く考えずしてきたこれまでの決断すらも愚かで、考えなしで、くだらなかったのではと思うようにもなってしまった。

幼少期の親の影響はもちろん強くて、親と社会が敷いてくれたレールの上をただ進んできただけの私の人生は、今の私にとっては肩書だけの中身のないものにうつる。親や社会のせいにすることもできるが、どんな年齢でも結局最後に決めたのは自分であり、自分のせいのほかないのである。

だから、どれだけポジティブな言葉をもらっても額面通り受け取ることなんてできず、たまたま運が良かっただけ、ちょっとお行儀良くしてただけ、お世辞で言ってるだけと強く思ってしまう。

でも、この長い人生、嫌いな自分と歩む人生、自分に対して否定的に生きるには長すぎる。何か一つだけでも、自信を持てるもの、好きになれる要素はないだろうかと考えた時に英語が思いついたのだ。

英語を流暢に話せるようになった時、それは大きな自信につながるだろうと、今の私は考える。ネイティブとも問題なくコミュニケーションが取れて、選択肢が広がって、見える世界がぐっと広がる。そんな自分なら、ちょっと好感度が上がる気がする。

そして幸運なことに、兼ねてから憧れていたものであり、極めることに抵抗のないジャンルだ。おまけに勉強(文系に限る)は得意だ、できるかもしれない。

何をもって達成というのかわからないし、どこに指標を置くかは目下検討中だが、自信もついて能力もついて世界も広がる、こんなお得なことはないだろうと今の私は思うのだ。

英語ができてもプラスで別の能力がないと難しい、なんてよく聞くけどそれは英語ができてから考えればいいと思う。人生は長い。

日本にいると離職のリスクとかいろんなものに前職の職業柄目がいくけど、世界は広い。いろんな選択ができる、英語ができればなおのことだ。

大丈夫、きっとうまくいく。
自分の人生は自分で舵を取ればいいし、まあなんとかなる。

まずはこの一年、とにかく英語を極めることを目標に生きていこう。その先のことはまたその先のことだ。

やればできるぞ。

ちょっとすっきりして嬉しかったので記録。

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