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徒然日記(2023.08.31)

戦友が映画に出たらしい。
他人事を装うのは、その見慣れた名前が、見慣れないデカさでスクリーンに投影された際の謎のもどかしさと、シンプルに「同僚が出てる映画見にきましたぁ〜」ってなんかちょっと恥ずかしいじゃん、ねぇ!?

と言うわけで、会社でモギった半日有給という半券をしっかり手にしつつ、「たまたま映画館来たら弊社で話題の“同僚が出てる映画”がちょうどやってんなー、見て行ってやるかー」顔を120%の完成度で作りカウンターへゴー。

安定のコーラ(M)を手にシアターへ入ると、家族連れが多くおりその合間を縫って自席を探す。そうか、子供達がたくさん出ている映画だからか、君達も友達が出たりしているのかい?

ならこの誇らしさと、いい意味での恥ずかしさも共有できるかもね。

冒頭に戻るが、映画が始まるとそのスクリーンいっぱいに友の名が表示され、私はモゾモゾしてしまった。意味もなくコーラを何度も口に運び、危うくストーリーを見失うところだった。バンドをしていた時に、ステージに立つ友人たちが急に知らない世界の人に感じることがある様に、スクリーンというのは大きな大きなステージなのか、と妙に納得もした。

映画は、地元の廃校になった小学校が舞台で、「その小学校出身の"映画監督"が母校を舞台に映画を撮る」というドキュメンタリー的要素をもつものだった。実際にその映画の監督自身もその小学校出身らしく、現実とフィクションが混ざり合い、あたかもリアルなドキュメンタリーを見ているかのような感さえあった。我が友人は、ヒロインとして、あまりやる気のないその“監督”が映画を撮りはじめるように、簡単に言えば発破をかける役であった。その役柄は、本人が意図しているかは分からないが自然と周りを巻き込み、場を明るくする普段の彼女の姿と重なり、「そうそう、そういうとこあるよね」なんて知ったかぶりをしながら見ていた。一方で、その無鉄砲さと無邪気さにヒヤヒヤしたり、裏で結構悩んでたりするのを、リアルな彼女を通して知ったりしているので、ちょっと心配になったりもした。総じて、「この楽しみ方は私しかできないなぁ~!」なんて気味悪い楽しみ方をしてしまった。すまん。

とは言え、スクリーンで輝く姿は私を刺激するには十分すぎるくらいにカッコよかった。そういう刺激を与えられる大人になりたいし、そう思わせてくれる人間が近くにいるのは大変幸せな事である。

とは言え、こんなこと本人には死んでも言いたくない。

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