エッセイ ジャンク臨床心理士のつぶやき vol.7
日本が精神的に母性原理なのは河合隼雄も示唆し一般的に支持されている。
私は、解脱に至る過程で、日本語をしつこくこねくり回したので、それが日本語に起源があると発見した。
わたしは、フロイトのいう「男根羨望」は、日本においてだけは、「おまんこ羨望」であると思う。
だから日本のポルノからは、モザイクが消えない。おまんこが神聖なものだからだ。日本人の心を守るためにも、モザイクは消すべきでない。
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男性中心の社会の中、西洋ではビッチは許されない存在だった。キリスト教では、マリアは処女受胎だったし、女性には純潔が重視される。しかし古代ギリシャでは、「神殿娼婦」というのもいたらしいが、この存在や如何に。
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西洋では男性が女性以上に強い理性を要求されます。男性は十字架(罪悪感)を背負うことで自制心を強くしてきました。
ところが日本の男性は、罪悪感を背負っていません。母権でお母さんが神として君臨しているからです。正確にいうと姑が、ですね。
正直、日本人男性は意識的に理性をインストールしないといけないと思っています。
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ところで、これは私と夫の個人的推論なのだが、
日本人には、縄文人と弥生人が住んでいて、几帳面で器用で体臭があるのが縄文人、おおざっぱでコミュニケーション強者が弥生人に多いのではないか、という説だ。
縄文人は理系が得意だけど、弥生人は言語が得意。そして日本語は、文系的模倣能力だけで、
数学ができる風に見えてしまう。公文で東大に入れるのが良い例だ。
東大文系の学生でも数学は、本質を理解せずとも模倣でパスできる。
というより、数学の本質を教えられる教師がどのくらいいるのか、という疑問もありますけどね…。
高校の数学の授業を思い出しても、あんなのただの反復練習だったように思うのだ。私が文系クラスだったせいかもしれない。理系の数学の先生の華麗な数学の授業を受けた時は、なるほどー!と思ったものだ。
弥生民族は朝鮮半島を渡って中国から来た人たちで、言語的優位性で政治を牛耳ってきた。天皇家も弥生人なのでしょう。
そして縄文人は、北方ロシアの方から来た人達なのではないか、と。縄文人には体臭があり、弥生人には体臭がない。
体臭があると、臭いから側にいると嫌がられるが、体臭のない弥生人、特に若い女の子は桃の香りがして、そこにいるだけで嬉しい存在だ。
弥生人は、小さくて(矮小で)、食べる量が少なくて済み、無臭で、その上コミュニケーション能力が高い。邪魔にならないのだ。
邪魔にならないなら、すなわち何も出来なくてもそこに居て良いということになる。デキる人間が何もしないでゴロゴロしていると腹が立つが。
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同調圧力が強いのも、母権社会であるがゆえ。同調圧力も、よく言えばいい子です。治安が維持しやすい。
大雑把で体臭がない弥生人は、お片づけとかあんま出来てなくても気にならないんだけど、縄文人の手前、少なくとも外にいるときは、そのレベルに綺麗にしなきゃいけない。逆に外交や統治は弥生人が得意だったりして、双方がいい所を生かして生きてきたんだと思うんです。
男と女が補い合うように。
精神機序や文化が異なる国の診断基準で、精神医学鑑別するのは無理があると思いますし、
セラピーに関しても森田療法や箱庭療法もあります。
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