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寂しいシロクマ(相羽裕司)
2018年6月29日 11:41
「なんだ、奈由歌ちゃんか。灯理ちゃんが良かったなぁ」 安アパートの一室のドアを開けると、味元さんは開口一番そう漏らした。 おもむろに眼鏡を取って拭き始める。パジャマ姿に、ボサボサ頭に眼鏡。第一印象はモサっとしたオタクという感じだったが、眼鏡の下から現れた瞳は、意外にもつぶらでキラキラしていた。「あんた、さすがにその言いぐさは失礼だろ」 年上の人にも臆さず、焔はまず言うべきことを言っ
2018年6月28日 11:54
第三章「雪降る季節にまた逢えた」 復興部の部室に入るなり、奈由歌(ナユカ)は中にいた祈(イノリ)に駆け寄った。「イノリ~。私に飢えてたか? スマホに保存してる私の写真、一日百回くらい眺めてたか~?」「はいはい。千回くらい眺めてたよ」 抱きつこうとする奈由歌の額を押さえて一定の距離を保ちながら、祈はニコニコと返した。 早朝の部室にいるのは、悠未(ユーミ)、灯理(アカリ)、祈、奈由
2018年6月26日 10:37
翌朝。焔は気分転換に通学路を変えてみた。 悠未のこと、灯理のこと、祈が話していたこと。じゅんぐりと頭の中を様々なものがめぐっている。(いずれにしろ、俺はまだ何もできねぇ) それでも、今朝、変わっていたこと。「この街」で生きてきたなら「真のヒーロー」と「偽物のヒーロー」の意味が分かるという祈の言葉を聞いたからか、いつもより、街の隅々まで目がいくようになった。 自転車屋さんは早朝から
2018年6月25日 11:41
自由稽古の時間が終わって館内に設置されているシャワーを浴びた後、焔は外のベンチで風に吹かれていた。周囲はもう暗くなってきている。 寒い季節だ、なんて思っていたら、後ろから首筋に温かい何かがあてられた。「先輩の奢りだよ」「祈さん」 差し出された缶コーヒーを受け取る。「焔君は黄昏れてるのが絵になるねぇ」「それ、褒めてないっスよね?」 祈は並んでベンチに座ると。「特別な人間
2018年6月23日 12:09
「色んな強さがあると思うんだけどね。男の子としては、最初はここを通るよね。ユーミが、気になるんでしょ?」 祈に連れていかれた先は、県の武道館だった。道着を纏った祈と焔は、一礼して練習場に入る。 今日は武道館が一般に開かれている日で、ワンコインで自由稽古に参加できるのだという。 初心者から、中高生の経験者、県警の強い人達まで参加している場であるらしい。 焔達が訪れたのは一階の柔道のフ
2018年6月22日 11:51
午後。焔が体育館裏を訪れると、背の高い亜麻色髪の男が、この季節は閑散とした花壇を眺めていた。「祈、さん?」 祈は振り返ると、ニっといつもの柔和な微笑を作った。「焔君。なんだい? まだ、授業中でしょ」「人のこと、言えないっスよ」 悠未の話を聞いてから、モヤモヤとして落ち着いて授業を聞いている気分ではなかったのだ。「ハッハ。この場所。学園内の絶好のサボりスポットだからねぇ。ここ
2018年6月21日 11:44
早朝。焔が復興部の部室を訪れると、悠未が既に来ていた。 机の上に、ホッチキスで閉じられた紙の束が置いてある。プリントアウトされたばかりなのか、インクの匂いがする。「脚本が書けた」「本当に速かったな」「寸評を頼む」「ああ」 焔としては既に流れに乗っている感覚があり、正直どんな話だろうと作画に気持ちを込めようという心持ちだったが、もちろんお話が面白いに越したことはない。 しばし
2018年6月20日 16:06
夜。下校途中のことだった。 駅前の広場にて。後ろから声をかけられた灯理が振り返ると、清楚な感じの女性が立っていた。(どこかで見たことがある女性(ヒト)だな) けれど、すぐには思い出せない。 年上だけど、成人した女性と形容するのはちょっと違う。全体的な雰囲気に少女性が残っている。 膝より下、ふくらはぎの真ん中くらいの丈の長めレングススカートに、ギンガムチェックの長袖シャツ。
2018年6月19日 16:46
「脚本が書けそうな気がする」 翌日、復興部の部室で悠未が語り始めた。 急ぎの“復活”依頼がない時は、目下進めている同人誌販売作戦の活動を行うことになる。「これも縁だと思って両義(りょうぎ)先生の『莱童物語(らいどうものがたり)』を今更読んでみたんだが、これが良かった。インスピレーションが湧いてきた」「おお~」 悠未の言葉にパチパチと手を叩く灯理を、焔はそっと見やる。 昨日の夕
2018年6月15日 11:34
お弁当の配達が終わる頃には日が暮れていた。 夕飯はどうするの? と灯理に尋ねられた焔だったが、心配させるのも違う、なんて思っていたら、曖昧な態度になった。すると、「一緒に食べていこうか」 と灯理に誘われた。 灯理は少し離れて電話をかけている。 家族に今日は外で食べて帰るということを伝えているらしい。 灯理の詳しい家庭の事情は知らないけれど、家で待ってくれている人が健在なん
2018年6月14日 11:42
第二章「この五人でGo!復活の未来」 放課後。復興部の部室へと向かう、焔(ホムラ)の足取りは軽い。 紺のブレザーにチェック柄のスラックスという出で立ちは、双桜(そうおう)学園の中等部の制服である。 久々に袖を通した。 ただ、かなりの期間「世の中のスタンダード」的なものへの反抗心がくすぶっていたのを、早々になかったことにするのには抵抗があるのか。学園指定のネクタイは外していたりする
2018年6月13日 14:56
夜中。 既に力が入らないほどの暴力を受けた身体を引きずられて、焔は各々の手に獲物を持った数十人の集団と仮設住宅地区を移動していた。 幾人かの居住者は異変に気づいたが、同時に危険をも感じ取ったからだろうか。焔を解放しようとする者は現れない。 両義先生が暮らす区画に辿り着くと、部屋からは明りが漏れている。在宅している。 家族は壊れ、学校にもいられない人間(ホムラ)にも、居場所をくれた
2018年6月12日 14:04
夕刻。悠未がもう一度焔君に会う必要があると言うので、灯理は仮設住宅地区より少し沿岸部に向かう途中にある公園を訪れた。 SNSのアカウントも交換してないような仲だったけれど、こっちに行けば会える気がした。 伝え聞く所によると、携帯も普及してなかったこの国の隆盛期やその黄昏時は、それで案外会えちゃっていたそうで。 灯理の周囲だけは、そんなアバウトさゆえの余裕に未だ包まれているのを感じさせ
2018年6月11日 11:31
S市の中心部に長年住んでいる者達の感覚からすると、震災以降の生活再建に追われている間に、いつの間にか近くにできていた。そんな場所が仮設住宅地区である。 賑わいを取り戻しつつある高層ビルが立ち並ぶ中心部。 シャッター通りが増えてきた伝統的商店街。 大型ショッピングモールが建設中の再開発地区。 そして、沿岸部から避難してきた人たちが一時的に暮らしている仮設住宅地区。そんな場所が混じり