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象徴的解釈:魚座3度のサビアンシンボル

Pisces 3: A petrified forest.
《日本語訳》化石の森


魚座3度の意味

潜在意識の現象化、想念によって形成される世界

魚座3度の解説

化石の森とは

魚座3度に登場する「化石の森」は、アメリカのアリゾナ州にある「化石の森国立公園(Petrified Forest National Park)だと考えられます。化石の森国立公園は珪化木(けいかぼく)と呼ばれる木の化石が数多く見られる場所で、宝石のような美しい断面の木が砂漠にゴロゴロ転がっています。
 
通常、樹木は枯れて朽ち果ててしまうのですが、何らかの原因で地層に埋まると地下水に含まれる珪酸などの成分が染み込み、珪化木になることがあります。断面が宝石のように見えるのは数千万年もの時間をかけて樹木の細胞が鉱物に置き換わったからです。現在では木が石になることは知られていますが、そのような事象が知られていなかった頃は、魔法や呪いによって木が石に変えられたと信じていた人々もいたようです。
 
化石の森国立公園には珪化木の他にも太古の地殻変動によって造られたペインテッド砂漠や古代文明の岩面彫刻があり、悠久の時を隔ててもなおその姿をとどめています。

化石の森国立公園の呪い

化石の森国立公園には有名な話があります。
それは、石(珪化木)を持ち帰った人が不幸に見舞われるというものです。日本でも「化石の森国立公園の呪い」として知られています。この公園の石は持ち出し厳禁ですが、珍しさからか石を持ち帰る人が後を絶たず、その被害は年間数トンにも及ぶそうです。同時に、謝罪の手紙と一緒に返送される石も非常に多いのだそうです。
 
公園内にある博物館には1930年代以降に届いた約1,200通もの手紙が保管されており、手紙の多くには石を持ち帰ったことへの謝罪と、自分がどのような不幸な目に遭ったのかを説明する内容が書かれています。この手紙は『Bad Luck, Hot Rocks』という本にまとめられ(日本では未発売)、車の事故、ペットの病気、愛する人との別れなど、石を持ち帰った人々の身に起きた出来事を知ることができます。
 
石そのものが持ち帰った人を不幸な目に遭わせるわけではないのですが、“石を持ち帰ったことが原因で不幸な出来事が起きた”と信じる人々が後を絶たないのではなぜでしょうか。

罪悪感と罪悪感が引き起こす現象

私たちは自分自身のフィルターをかけてこの世界を見ています。自分の思い込みで判断する「認知バイアス」、自分にとって都合の良い情報ばかり集めて判断する「確証バイアス」などのように、無意識のうちにしている思考・行動は非常に多いのだそうです。
 
潜在意識には過去の体験や感情が蓄積され、その人の信念・価値観・感情・行動などに影響を与えると言われています。「認知バイアス」や「確証バイアス」は訓練によってある程度減らすことは可能ですが、ネガティブな体験やそれによって引き起こされた感情(=怒り、恐れ、悲しみなど)は潜在意識に深く沈殿するので、本人が意識したりコントロールすることは難しいとされています。

化石の森国立公園に石を返送した人々の大半が手紙で謝罪していた事実から、彼らが石を持ち帰ったことに罪悪感を抱いていたことがわかります。この罪悪感が彼らにどのような影響を及ぼしたのか考えてみます。
 
罪悪感とは「自分がした行為を罪悪と感じる気持」「道徳・法律・宗教や社会習慣などに背く、悪い行いをしたという意識」のことです。多くの人は罪をおかした時に「後ろめたさ」や「罪滅ぼし」といった感情が芽生えます。長い間それらの感情が抑圧されると、無意識のうちに「自分は悪いことをしたのだから幸せになってはいけない」「自分は罰せられなければいけない」と思うようになることもあるようです。
 
仏教には「因果の法則」があり、「すべての出来事に因(原因)があり、さまざまな縁(条件)が作用し、それに応じた果(結果)が起きる」と説いています。また、ブッダの説法をわかりやすく記した『法句経(ダンマパダ)』の一節にもこう書かれています。

すべてものごとは
心によってつくられている
汚れた心で話したり行動したりするならば
苦しみがついてくる
車をひく牛の足跡に
車の跡がついてくるように

『法句経(ダンマパダ)』より

魚座サインが見ている世界

私の解釈では、サビアンシンボルの3度はそのサインの世界観を示しています。魚座3度に示された象徴をもとに意味を考えると、魚座サインの世界観は潜在意識の現象化にあると解釈できます。魚座サインが見ている世界は人々の想念によって形成されているので、つかみどころがなく、幻想のようであり、何一つ確かなモノが存在しない世界のように思えます。
 
このように表現すると魚座サインは現実とかけ離れた世界を見ているようですが、私にとって魚座3度の世界観は大乗仏教にある「唯識」という思想そのもののように感じられます。「唯識」ではこの世界は表象、つまり私たちの心に浮かんだ姿を映し出しているに過ぎないと考えます。

魚座サインが必ずしも仏教と関係しているわけではありませんが、サビアンシンボルという観点からサインの性質を考えても、魚座サインは一般的に言われるように“見えるモノ”や“実感できるコト”より、“見えないモノ”や“実感できないコト”と繋がりが深いと言えます。

サビアンシンボルの解釈について

当記事の内容は、サビアンシンボルを考案したマーク・エドモンド・ジョーンズやサビアンシンボルの解釈を著したディーン・ルディアの解釈とは異なります。サビアンシンボルに登場する要素を象徴として扱い、象徴が意味する内容に基づいた独自の解釈を行っています。

魚座のサビアンシンボル一覧

象徴的解釈:魚座1度のサビアンシンボル(実験的試み)
徴的解釈:魚座2度のサビアンシンボル
魚座8度のサビアンシンボルに示された「噂や妄想に満ちた空間」

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