見出し画像

骨を拾わないで線香を消す

【前置き】
これは7年前に祖母が亡くなったあと数年してから書いた記事で、下書きに眠っていたものを掘り起こしたものです。各所拙いところもありますが、やっと読めるようになったので公開します。

祖母はもうすぐ七回忌をやります。

オタクはときどき不毛なルール論争をする。おれは興味があったりなかったりするけど、基本的には静観している。そしてこのnoteはそんな学級会の参加ではなくて、リアルマナーの塊たる宗教についての自分語りである。

どこかの誰かが、ファン活動における、ルールとマナーと法律とのかねあいを、葬式マナーにたとえているのを見かけて、おれは祖母の葬儀のときを思い出していた。お前ほんとに葬式のこと、宗教のこと、わかってんのか? と。

祖母の葬儀は仏式でおこなわれた。

しかし、彼女の長男である伯父は牧師である。つまりキリスト教徒であり、それも家系がそうなのではなくて自分から勉強して牧師になったというから、祖母の家を仏教徒だとすれば、ひとり改宗したひとだ、といえよう。

一方、祖母の長女かつ妹であるおれの母は祖母と一緒に暮らし最期をみとった。ここに教育機会や介護負担の男女差だとかそういうのを見出すこともできるかもしれないが今そんな話はしない。

伯父は同じくクリスチャンの妻ともども、葬儀には現れた。生前の祖母は常々、東京で牧師として暮らす彼女の息子について「あてにならん」と言っていて、そのあたりの話し合いはおれの知らないところでなされていたらしく、仏式のちいさな葬儀の喪主は母が、そして葬式の段取りもろもろの仕事はほぼその母の子であるおれの妹たち……実家のすぐそばに暮らしている……が引き受けていた。無論、東京から戻ったおれも幾ばくかは手伝ったが、やっぱりどんなに小規模でも葬儀というのは親戚・近所付き合いであるからして、おれなどはまるで役立たずであったと思う。母親のスピーチの下書きをし、実家の猫たちの世話など瑣末な家事をしていた。

そんな忙しなく、また消耗する母のサポートをする時間のなかで、おれは伯父の宗教的な意味での悼みかたが気になって、かれを見ていた。

具体的にかれが取った行動を列記する。まずひとまず通夜から遺骨への読経までひととおり参列し、一番前の、「ふつう長男がいそうなところ」に座る。焼香の箱は触れずにそっと隣へまわす。棺に花や遺品を入れるときは花を入れていたかもしれない。出棺で棺をかつぐのは男手が足りず手伝ったが、もう一人男がいたらやらなかったかもしれない。
そして骨を拾うときだが、これはまったく手を出さなかった。焼かれた骨も見ていないくらい遠巻きにしていた。スーツはスーツだったが、真っ黒ではなかったかもしれない。あと、寺に行ったらなぜか待ち時間の坊さんたちにめっちゃ質問して仲良くしていた(同業者だから、だそうだ)(まあたしかに受け持ちの教会では葬儀をとりおこなっているし、実際かれの妻であるところの伯母は諸々たいへん働いてくれた。まあでも坊主と牧師が同業ってのは笑うところだ、たぶん)。

キリスト教のことは手持ちの……伯父にもらった……聖書でしか知らないので、それぞれの行動にどんな意味があるのか、それともないのかはわからない。

ただ、悲しくないはずはなかった。

しかしそれ以上に、葬儀の仕事で消耗する妹、つまりおれの母を心配し、力になりたがっており、しかし具体的に葬儀のめんどうなこと、例えば弔問客むけのスピーチだとか来客数の把握だとかには関わらないために、顔を合わせると喧嘩になってしまうので、はたから見てももどかしかった。

おれは祖母の家に泊まっている伯父と実家にいる母との連絡係をやっていた。妹たちは伯父のことが好きではない。理由はよく知らない。ひるがえっておれは昔からこの伯父によく懐いていた。聖書をくれたのも、ゼノサーガで知ったグノーシス主義について最新の研究を教えてくれたのも伯父だ。よって忙しなさで衝突しがちな兄妹の間に入る役目はおれに託された。(あるいは、伯父とおれは同類だったかもしれない。実家の近くに住み、地元の人間と結婚し、祖母や母を守ってきた妹たちに比べ、東京で婚姻関係にないパートナーと暮らすおれは異端であろうから)

ひとつ、この先きっと忘れないだろう、ということがある。

遺体がまだ家に安置されているあいだ、長く燃える蚊取り線香みたいなやつを一晩じゅうつけておく、という習慣がある。これは仏教なのか風習なのかよくわからない。おれはキリスト教以上に仏教を知らない。仏教の知識は京極夏彦が鉄鼠の檻に書いていたことで全部だ。

亡くなったばかりの祖母は眠るようにして布団をかぶり、彼女の家の仏壇の前に横たわっていた。そのかたわらにくだんの蚊取り線香みたいなやつがちいさく赤く燃えていて、だから祖母の家には必ず誰かがいて、弔問客に茶をだしたり、葬儀社の人と打ち合わせをするなどしていた。

そうして夜になった。喪主の母は祖母が亡くなったときからの疲れで誰が見てもヘトヘトであり、そのサポートをしてきた妹たち、そして急ぎ帰ってきたおれ自身を含め、家族全員を休ませなくてはならなかった。そうしてその線香の番を「どうする」か、という決断は、祖母の家で祖母とともにある伯父に託されることになった。その連絡を伝えに、おれは祖母宅へ行った(行くほうが早いのである)。

おれは線香の風習について説明し、このまま点けておくならば我々のうち誰かが火の番をするであろう、というふうに話した。

伯父は、線香の火を消す、と決めた。

火事になってはあぶないし、生きている人間にはみな休みをとらせるべきで、それはおそらく宗教に関係なく、合理的な判断だった。

祖母のところへ行って実際に消す役目は、おれに頼まれた。伯父はおれの宗教的中立性と合理性を買ってくれていたのかもしれないが、真意はわからない。

おれはその火をあおいで消した。このときいろいろなことを考えたけれど、祖母の子供たちふたり、おれの伯父と母、かれらふたりがなんとか局面を乗り切ることが最優先だったので、どちらかといえば伯父を支持していた。

でも、母はやっぱり悲しんだ。

おれの妹たちを含め、「消すと決めたのなら伯父本人がやるべきだった」という意見もあった。おれはそれもそうだとは思いつつ、みなに睡眠をとらせるべく、態度を曖昧にしたように思う。

牧師の伯父と仏になった祖母の話はこれだけだ。

おれはたとえばこの線香の判断ひとつとっても、母も伯父も何一つ、「悪い」ことはしていないと思う。

繰り返すが、伯父は悼んでいないはずはなかった。

仏式葬儀は生前の強い希望で……祖母は早くに夫を亡くし、毎日仏壇にお経をあげるひとだった……母はそれに従った、最後まで孝行をしたひとだ。

いっぽうで、この国でデフォルトでサポートされている葬儀の段取りのなかで、キリスト教の信仰が篤い伯父のやりかたで祖母をおくることのできない息苦しさも感じた。
あまりにも仏教がデフォルトすぎて、誰もそれに疑問を挟まないというか。とはいえ伯父が牧師であることは親戚も近所もよく知っていたので、それについての陰口などはおれの知るかぎりなかった。まあ実務で働かなかったことはめっちゃ陰日向なく怒られていたけど。(教訓、やれることはやろう)

牧師の伯父が復活の日に天のみ国へゆくのなら、祖父といっしょに仏となった祖母には再会出来ないのだろうか。それではなんのための信仰だろう。死生観を説明するのが信仰なら、大切なひとと食い違ったとき、苦しいのではないか。

このことについて、伯父にはあらためて尋ねたことがない。同じ東京でもかなり離れたところに暮らしているため、会う機会がない。

じつは信仰として判断をつけかねているのはおれのほうだ。伯父は牧師になってから長い間勉強をしていた学のあるひとだし、なんらかの神学的な理屈はいくらでもつけられると思う。

でも、おれには学がない。

できるだけ合理的でありたい理想と、宗教で決まった型に嵌めてコストを下げるやりかたは、こと、人が死んだ、という、感情の爆発と事務的な手続きで忙殺されるとき、どちらも心の支えになる。

祖母の葬儀のことを思い出すたび、あの線香の火を思いだし、ひるがえっておれはどの地獄へ落ちるかを検討している。

ところで、線香を消したおれが何の地獄に落ちるのかリアルに宗教でご存知のかたはお寄せください。行き先がわかれば行楽情報もわかるというものです。

【公開するにあたっての追記】
祖母なきあと、なんとアラウンド70の伯父に娘が生まれた。伯母も四十歳をこえているので大変だと思うが、例によって付き合いがなくてよく知らない。
現在二歳か三歳、聞けばたいへんに利発な子だという。これからの世界で、おそらくクリスチャンとして生きるであろう彼女の幸せを心から願っている。